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Twitterの140字制限はそこそこ真面目に議論をするには狭すぎる。

本項において「議論」とは、思考を論理的に組み立てて意見を論じることとして扱います。

この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。

これは「フェルマーの最終定理」についてフェルマーが遺したとされる有名な言葉です。未解決問題のひとつとして長年の間、多くの数学者たちを悩ませてきましたが、彼の死から330年を経て、アンドリュー・ワイルズの手により証明されました。

どのように証明されたのかは、調べてみれば谷山-志村予想がどうとかそれらしい説明がでてきます。そして説明を読み始めるとかなり序盤で目が滑り出します。なるほど、わからん。正直何を言っているのかさっぱりです。すべてを理解するには私の数学の知識が足りないのです。全てを理解して記載している数学ができる人と数学の知識が足りない私との足並みが揃っていないのです。

さて、今日もTwitterのどこかで議論のようなものが勃発しては、返信やリツイートであーでもないこーでもないと言われていることでしょう。私自身はTwitterで議論をするのがあまり好きではないので傍観していることがほとんどです。好きではない理由は単純明快で、ほとんどの場合、議論になっていないからです。

議論のようなものに発展している時点で、賛否両論が巻き起こる繊細か複雑な話題であることが推測されます。繊細か複雑な話題であればあるほどに、自分の主張が誤解されてしまうような解釈の余地を与えないことが重要です。そのためには言葉の定義や持ち合わせている知識などの前提条件について、できるだけ足並みを揃える必要があります。しかし、そのあたりを丁寧に説明するのに、140字はあまりにも少なすぎるのです。

140字に抑えた結果、何が起こるのかと言えば、修飾語が省略され、主語が大きくなったり説明が不足したりして、議論の本筋ではないところをツッコまれてしまいます。そのツッコミもまた、同じ理由で説明が不足しがちなので悪循環に。水掛け論はヒートアップし、お湯掛け論となり湯気が立ち、煙が上がっているぞと注目を集め、最悪の場合は炎上に至り、悲しいことに議論の本筋ではないところで燃えていることもあります。

修飾語がなくても文脈を読めよと受信者に「読解力」を求める人もいますが、わざわざリプライをする人は、それなりに強い主張を持っているか、ほとんど主張がなく面白がっているだけの可能性が高く、文脈を読んでくれるとは限りません。どちらかと言えば自身の主張にとって都合のよいように解釈しそうですらあります。そういう意味では「読解力が低すぎる」というよりは「曲解力が高すぎる」と言えるのかもしれません。

繰り返しになりますが、曲解されたうえでの無用なやりとりを避けるためには言葉の定義や前提条件をできるだけ丁寧に説明する必要があります。140字制限の壁を乗り越えるために複数tweetに跨って展開したり、存分に書いたテキスト画像を添付したり、工夫している人も見かけます。そこまでしても、前者は説明するまでもなく、後者でもひとつのtweetに最大4枚までしか添付できないので、場合によっては一部だけが切り取られて拡散されるリスクがあるのです。言いたいことをひとつのtweetに全て注ぎ込むことも、丁寧な説明と合わせて重要なことです。

念のために断っておきますが、Twitterで繊細な話題や複雑な話題に触れるべきではないと言っているわけではありません。140字以内で瞬発的に発信できるのはTwitterの強みです。着飾らない言葉には訴求力があり、注目を集めやすいので、主張をするだけなら相性のよい媒体だと思います。

ただし、議論のような形にもつれ込んでしまった場合に、Twitterでは非効率的な展開が待ち受けている可能性が高いです。議論のようなもの――ただの主張の応酬――ではなくそこそこ真面目に議論したい場合には、noteのように字数制限のないブログ媒体を併用してみてはどうでしょうか。

「Twitterでそこそこ真面目に議論するのはだいたい時間の無駄」

とバッサリ切り捨ててもよかったのですが、それだと説明が不足して様々な解釈が生まれそうなので、私なりに丁寧に説明してみたのが本項になります。それでもまだ不足しているのかもしれないけれど。

余談
A派とB派がTwitterで議論のようなものをしていて自分がA派であるとします。私がいちばん困るのはB派の鋭い論理的な意見ではありません。A派の非論理的な意見です。ちょ、おま、そんな、わけのわからない反論したら、ああああああ。議論の相手は決して敵ではないので語弊はありますが、敵の敵が味方とは限らないと言いますか、同派が足を引っ張って残念なことになっているケースは少なくないよなぁと思います。しかしそれを止めるにあたって、速いtwitterでは狭すぎて、広いブログでは遅すぎるのです。難しい。

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