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私のワクチン接種と軽めの副反応。

自分の住んでいる自治体が相対的に早かったのか遅かったのかはよくわかりませんが、無事に2回のワクチン(ファイザー製)の接種を終えることができました。人生で滅多やたらに経験できることでもない(したくもない)ので、体験談を残しておこうと思った次第です。

私が予約したのは大規模接種会場でした。予約自体が年代別に行われていたので、同じ日にいるのは同じ土地に住む見知らぬ同年代の人ばかり。うっかり会社の人に会ったりもしましたが、ほとんどはもう二度と会わないか会っても気がつけない人たちで、なんだか一方通行の同窓会のような気分でした。

先に高齢者から接種が進んでいて、経験やノウハウが蓄積されていたというのもあるのでしょうが、私が接種する頃には大量の人を効率よく捌くシステムが完成していました。入館して検温、消毒した後、番号が貼られた椅子に誘導され、あとは10人単位で指示に従い動くだけ。

本人確認されて、渡された書類バインダーの色で行き先が分岐して、待ち時間に問診されて、打つ側の片袖まくって、お注射されて、15分ほど待機して、おしまい。工場のラインを動く製品のように人々が動くさまを見ながら、また、自分自身もその一部になりながら、「あぁ、私も所詮は社会を動かす歯車のひとつに過ぎないんだな」というよくわからないディストピアのような感想を抱いていました。

ワクチンの副反応は本当に人それぞれです。私はかなり軽いほうだったと思います。

1回目は腕が上がらなくなりました。噂には聞きながらもうまくイメージできなかったのですが、接種から6時間後に確信しました。「これが……噂の……!」と。腕が上がらないと地味に不便です。髪が洗いにくかったり、高いところのものが取りにくかったり。プラグを抜こうと力を入れると違和感があったり。できなくないけどできればやりたくない地味な煩わしさ。寝る時の肩の位置も重要で、心地よく寝るためにはベストポジションを探る必要がありました。発熱はなし。接種48時間後くらいから徐々に肩が上がるようになりました。無事だった今だからこそ言えますが、時間単位で実感できる自身の身体の変化が面白くもありました。

2回目も腕が上がらなくなりました。2回目ともなると慣れたものです。と言いたいところですが2回目の方が肩周りの違和感は小さかったように思います。気にしていたのは発熱で、うっかり大事な用事の2日前に打ってしまったため、願わくばそれまでに平熱まで下げたいところでした。プラズマ乳酸菌がカラダに良さそうという漠然としたイメージで、接種当日と翌日は家に転がっていた貰い物のiMUSEのお世話になりました。これまで飲んでいなかったから転がっていたわけで、こんな機会でもないと飲まない私。冷静に考えると免疫を活性化させるとむしろ熱が上がるのでは? と思わなくもありませんが、とりあえず美味しかったのでヨシとします。あとは栄養とって頭を冷やしてゴロゴロ。

同僚が上下を繰り返しながら39℃を越えるドラマチックな体温の経時変化のグラフを送りつけてきたのを見て、なるほど私も体温を細かく測ることで、本項を彩れるグラフが作れるかもしれないと思いました。物書き、身の回りのことを何でもネタにしがち。ところが残念なことに24時間後の37.3℃をピークに平熱に戻るだけの何とも面白みのないグラフ。残念というのは語弊があります。副反応がめちゃくちゃ軽いまま終わったということです。ありがたいことです。2日後には何の影響もなく、大事な用事も無事にこなすことができました。

繰り返しになりますが、副反応は人それぞれ。備えあって憂いなし。何も準備しないで高熱にうなされると大変なので、解熱剤など万全の態勢で接種に臨まれるとよいかと思います。

これでひとまず重症化のリスクを軽減することができました。ホッとひと安心です。念のために断っておきますが、ワクチンを打ったからといっていきなり感染症流行前の生活を取り戻せるわけではありません。運転で言うところの万が一に事故を起こしたときの死亡確率を減らしてくれるシートベルトのようなもの。引き続き安全運転でルールを守って生活していきたいと思います。

余談
ニュースなどを見ていると故意だったり故意じゃなかったりで、生理食塩水を打たれてしまった人がいくらかいらっしゃるようです。成分的には副反応は起こらないはずですが、「接種すると副反応が起こるかもしれない」というイメージだけで副反応様の症状を引き起こしている例があってもおかしくはないと思うんですよね。いわゆるプラセボ効果です。実際のところどうだったのでしょう。また、生理食塩水じゃなくても、ある人が副反応に抱いていたイメージの強さとその人の実際の症状がどうだったかの相関には興味があります。そういう調査してる人いるのかなぁ。

頂いたサポートは、美味しいものを経て、私の血となり肉となり次の作品となる。