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名脇役の置き土産

店先の天津甘栗

先日、店頭に並ぶ天津甘栗を見て思い出したことがある。

学校図書より軽い訃報

筆者が小学3年生の時、曾祖母が亡くなった。

それまで父方の祖父母・曾祖母との交流が全くなかったため、その訃報は学校の図書カードより軽かった。

「行くぞ。」

返却期限が翌日の学校図書をしまっていると、父から声をかけられた。

曾祖母の葬儀に参列するらしい。
人生初の葬儀だ。

筆者の人生に突如あらわれた「曾祖母」の肩書を持つ人と、初めての葬儀に、不謹慎だがわくわくした。

フェリーに揺られ

父の実家は愛媛県の小さな島にあるらしい。
それまで父方・母方の区別は勿論、父の生い立ちに興味を抱いたことはなく、与えられる情報のすべてが初めてだった。

内地から島まで、船で行くらしい。
フェリーという初めての乗り物に、筆者たちは自動車ごと乗っかった。

あれが何月だったかも思い出せないが、フェリーのお腹の中は薄暗く、前後左右の車からは人が出てきた。
薄暗いフェリー内を明るい方(おそらく船の甲板)に向って歩いて行く人達を、車内から羨ましく眺めた。

2人目のじいちゃん

無事にフェリーを降り、車で10分ほど走ったところに父の実家はあった。

小さな山門のような門扉は開け放たれ、外から見える範囲には喪服を着た人がたくさんいた。
芝生が湿った匂い、生花の甘い芳香が混ざり合った空間だった。

父は何も言わず、慣れた様子で敷地内に入る。
置いて行かれないよう背中を追っていると、横に長い建物があり、縁側が開放されていた。

中には祭壇が組まれ、曾祖母と思わしき遺影がにこやかに皆を見ていた。

「来たか。」

線香の匂いと同時に、高齢の男性が歩いてくるのを認めた。
父より少し背が低く、声の大きなその人は、筆者のじいちゃんを名乗った。

母方の祖父こそ「世界のじいちゃん」と認知していた筆者にとって、2人目のじいちゃんは衝撃的だった。

歯がとけそうなほど甘く

これを機に、時々交流するようになった。

材木店に勤める母方の祖父に対し、父方の祖父は定年し、通年漁師、秋冬のみミカン畑の世話をしているらしい。
このような書き方をするのは非常に忍びないが、父方の祖父の方が金銭的に豊かそうだった。

父には妹が2人いて、彼女たちとの交流もなかったが、祖父越しに子(筆者にとっては従兄弟)がいることを知った。

同時に、「外孫」「内孫」という言葉を聞き、「沙奈は内孫じゃけぇ可愛いわなぁ」と撫でられることもあった。
意味はわからないが、筆者には都合のいい言葉であることを理解した。

当該発言のとおり、祖父は筆者を甘やかした。

自宅内で肩身の狭い思いをしている筆者だが、父方の実家にいるときは1人っ子のように可愛がられるため、すぐに祖父が好きになった。

ただ、祖父の家の子になりたいとは1度も思わなかった。

訃報

曾祖母の葬儀から4年目の春、祖父は亡くなった。
くも膜下出血だった。

島には医療機関がないため、救急艇という海上の救急車により内地に運ばれたそうだが、死亡確認のみで終わったそうだ。
検死等は行われず、死亡の翌日には通夜・告別式が行われた。

1度も外泊したことのない父が、このときはじめて外泊した。

葬儀の日、初めて母の車で向かい、参列した。

1日ぶりに見た父の目は、メガネの奥で赤く腫れていた。

祖父の家は、ここを初めて訪れた時と同じように開放され、幕や祭壇が並んでいたが、人の数は曾祖母のときより多かった。

敷地内にある祠の横に座っていたところ、飼い猫のグレ(毛色がグレーだから)が寄ってきて座った。

散々新鮮な魚を与えられているグレだが、これからは祖父の魚を食べられないのである。

「じいちゃま、死んじゃったね。」

ちらりと見た棺の中、横たわる祖父の顔は非常に穏やかだった。

今日はいいわ

参列者たちの話から、祖父は当日「今日はいいわ」と海に出ず、自室で過ごしていたことを知る。

朝の漁は日課で、海も穏やかだったが、そんな気分の日もあるだろうと祖母はそっとしておいたという。
昼食を知らせに行った時には、昼寝をしていた。

…という風に見えたらしい。

何度か声をかけるも起きる様子がなかったため、慌てて通報した結果、そのまま帰らぬ人となった。

これを知った筆者は、最後まで祖父の部屋に入れず、葬儀を終えて帰宅した。

もしかすると、まだそこに祖父がいて、いつものように甘やかしてくれるんじゃないかと思った。
同時に、いなかった時に落胆するのが嫌だったのだ。

甘栗

帰路、フェリーを降りてすぐのところに建つ売店に、赤い甘栗の袋を見つけた。

筆者の人生、初めての甘栗はここで買ってもらったし、自分で剝き方がわからず、祖父に剝いてもらったことを思い、懐かしんだ。

父にとっての祖父は鬼のようだったらしいが、筆者にとっての祖父は最初から最後まで甘く、1度も怒られたことはなかった。

孫にとっての祖父母とは、そういうものだろう。

今では殻をむいた状態で売られていることも多い甘栗だが、剝いてくれる人、又は筆者が剥いてあげたい人が現れたとき、殻つきを買おうと思っている。

祖父ほどスマートに剥いてあげるには、ひそかな特訓が必要そうだけどさ。

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ヲタク行政書士®榊原沙奈
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