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子育てをする幼い私と大人の私

子育ては思い通りにならないことばかりだ。私にとっては子育てのほとんどが修行に感じる。
しんどい時ほど、私の中の幼い私が訴えてくる。
『なんで私ばっかり!私の時はそんな許してもらえなかった!なんでなんで!』
そんな訴えを聞いてしまうと、自身の平常心を保つことは非常に難しい。

現在、子育てにおける暴力や暴言は、社会的にも法律的にもタブーになった。しかし、私が子供の頃は、親が子供を殴る事は今ほど問題視されていなったように思う。実際、私は実の両親から度々殴られていたし、外に出される、物置に閉じ込められる、言うことを聞かないと扶養しない・学費を出さないと脅す、成績が悪いと怒る、なんてのは日常だった。自身が親になってから自分の幼少期を振り返れると、親が頭がおかしいとしか思えない。それと同時に、そんな親の血を受けついでいる自身に対して嫌悪するし、そんな私の血を我が子に分けてしまって、本当によかったんだろうかという思いもある。

20代の頃は、前述の件についてあまり深く考えることはなく、自分の親ちょとおかしいなぐらいにしか考えてなかった。しかし、いざ自身が子を産んで子育てをするようになると、自分が子供の頃のことを様々思い出すようになった。そして、親の言動に共感するよりも、軽蔑するような時間が多いことに気づいて親に対して嫌悪が増した。

あんな嫌な思い出なんて、思い出す必要なんてないのに、ふとした瞬間に思い出して、その度に傷ついている。何度も何度も。こうなると呪いだ。呪詛だ。発端は親だけど、何度も思い出すのは自分なので、親からの呪いなのか、自身からの呪いなのかもうよくわからない。

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