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くるみ割り人形を巡る・その一

 バレエの演目であまりにも有名な「くるみ割り人形」。
マリウス・プティパの依頼によって、ピョートル・チャイコフスキーとアレクサンドルデュマ親子の翻案によって作られ、1892年に初演された作品。

 おりしも三幕の「花のワルツ」の曲を繰り返し聴くことになり、この作品の元を辿りたくなった。奇しくも「花のワルツ」は、幼女期に飽きるほど繰り返して聞いて嗚咽した曲だ。当時なぜひどく感情を揺さぶられるのか、理由は分からなかった。今、繰り返し聞いて調べていくうちに、何かしらここには、謎が秘められているような気がした。チャイコフスキーの音楽の中でも、この曲は少し別のような気がするのだ。「くるみ割り人形」全体の曲の中でも、どこか浮いている。
 物語の中でも「花」の役割があまりにも不明瞭なのに、「花のワルツ」は劇的に調性が変わる。「泣いた子がもう笑った。でもあの子は、もはやすでに遠くへ行ってしまった」そんな手の届かなさが、夢の世界の出来事なのだと突きつける。それはもしかすると息を吹き返してほしいものたちへのシンパシーなのか。チャイコフスキーとホフマンは時代も異なる。しかし、この作品はチャイコフスキーの最後のバレエ音楽でもある。

 「くるみ割り人形」の原作は、E.T.A.ホフマンの童話「くるみ割り人形と鼠の王様」(1816年作)だということを私は知らなかった。バレエ版の物語は、ドイツ語からの翻訳ではなく、前述のアレクサンドルデュマ親子によって省略、改編された「はしばみ割り物語」が元になっている。原作というものは、幾度も改変されて流布されるものなのだ。

 あまりにも有名な「くるみ割り人形」の原作は、クリスマスの日に人形が命を宿して動き出し、夢と人形の世界を行き来する紛れもないドイツのメルヒェンの世界。原作はかなりの量があり、舞台にすると夢と人形の世界、童話の中での現実の世界が混濁するのであろう。しかし、そこが、本来クリスマスという幸せな時間から始まる少女の迷い込む夢現の世界、子供から少女への境を行き来するあの頃を、実はくっきりと表しているのではないのかと思う。
 「くるみ割り人形と鼠の王様」、「コッペリア」として知られる「砂男」は人形奇譚として、ホフマンの死後、フランス語に翻訳され彼の国の文学者に大きな影響を与えていることがわかってきた。あまりも多彩なホフマン。

 マリーの婚約者のくるみ割り人形は、アンドロイドの夢の世界に入って、現在では入れ子状態になっているのかもしれない。人形と私たちの関係は、もはや忌憚ではなくなっている。しかし、なぜかもの悲しさを感じるのだ。「花のワルツ」の寂しさと華やかさについてまだ調べ足りなく届かないので、その二に続く。「ハイジ」同様、児童文学の原作にはその作り手の一番繊細でコアになっるものが隠されている。

©️松井智惠                 2023年8月1日

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