大雨の日は美術館

 夏の休暇期間とはいえ、注意報も出ている雨の平日、小降りになったところで中之島の国立国際美術館へ急に展覧会を観に行く。
隣の大阪中之島美術館も、ほとんど完成していて植栽も終わっている。館内では、大忙しで働いているのだろうなと思いながら、時間貸し駐車場に車を泊める。

 何を見るとはなく、中之島にくるとホッとする。ショッピングセンターがあるわけでもなく、賑わいがあるわけでもないが、川と高速道路、高層ビルの間の空が気持ち良い街だ。ここには、かつて大阪大学があった。学生街の面影がなくなって久しい。道の向こう側を歩いている人が、もしかしたらかつての学生で、面影は全国に散らばっているのかもしれない。国際美術館に入るとミロとカルダーが視界に入る、長いエスカレーターの上に立つと、万博跡地にあった建築と同様の上下移動を思い出す。百貨店にはない高さを結ぶエスカレーター。

 今期は、地下三階が『Viva Video! 久保田成子』展、地下二階が『鷹野隆大 毎日写真1999-2021』展の、二本の異なる企画展が開催されている。今日のような日は多分、独り占めで観れるかなと、やましいことを考えていたら、なんと、観客がそこそこ入っている。鷹野隆大さんのように写真作家の展覧会は、観客の年齢層と対象がぐっと増える。どちらの展覧会も年齢層は若い方々が多い。というか、自分が高齢になっただけだということだ。

 二つの展覧会を見終わって思ったのは、全く異なる企画展を二つ続けてみると、かなり疲れるということだった。
 地下3階から観ていくので、どうしても久保田成子さんの展示を時間をかけて見てしまう。資料類も多かったので、鑑賞体験モードと読み解きモードの二つの作業をするので余力があまり残らなかった。鷹野さんの展覧会をみる前に、一度休憩してリセットしたら良いのではと思う。

 鷹野隆大さんの展覧会は、作品の点数が多いなあというのが、第一印象だった。展示は過去、現在、今に向かって作品はいくつかのシリーズごとに構成されている。写真の持つ「時間」に始まり、「光」にフォーカスを当てた最近の作品群で終わるのだが、セクションが多いので、見終わった後には「毎日写真」を遠くに置き忘れたように感じた。ほぼ同年代のはずだが、新しい作品になる程、写真の古典技法寄りになるのは何故だろうと、とても気になった。

 久保田成子さんの作品を最初に見たのは、高輪美術館のマルセル・デュシャン展だった。パイクとのビデオ作品などは、時折見かけたものの、全貌はわからない作家だった。しかし「フルクサス」に参加していた時の作家たちは、皆「全貌」ということと無縁だったのではないかと思う。その時々の「してやったり」の連続だと私は認識している。前衛の幸せな時代なのだと、改めて思う。奇しくも、後半のビデオで、パイクと久保田さんのビデオスタジオが、激しい雨漏り似あう様子が映る。天井を覆ったビニールには水がたまり、まさしく機材も作品テープも大ピンチ!
 作品テープに久保田さんが慌ててビニールをかけたので作品は助かったという。先月の自分のアトリエの大雨漏りを思い出す。そうそう、今日は、重要な作業場所にシートでクリスト並みに梱包して出てきたのだ。

 気がつけば、会期が終わっていたということが最近多々ある。自分にとってのドタバタした行事がひと月づつ過ぎていく。まずは、それとコロナとの関連で季節はあっという間に過ぎていく。毎日過ごしているうちに、世間の大きなイベントやと合わなかったり、今の長期間の大雨がやってくると、また気持ちがわさわさして、時間がぐにゃりと絡まってくる。

 雨が終わると、また残暑で灼熱なのだろうな。帰宅後、だらしなく寝転んで、スマフォで暇つぶしに、涼しそうな色のマスクを つい注文してしまった。

2021年8月13日

松井智惠


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