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三都物語

 十一月も終わりに近付いた今日も、すっかり空は青く晴れている。
このひと月間は風邪や声の変調、飼い猫の避妊手術と、必要以外の外出をしていなかった。そろそろリハビリウォークをして、行動範囲を日常に戻さねば、このままでは引きこもりになってしまいそうだ。

 という訳で、奈良駅近くに用事があった昨日は、行けるところまで足を伸ばすことにした。最寄りの便利な鶴橋駅から近鉄の快速特急で始まり始まり。平日午前の早い時間にもかかわらず、混んでいる。あわや座れないところ、優先座席を譲っていただき、ありがたい。近鉄奈良駅に到着すると、はや改札付近でたくさんの人々が往来している。これから朝の奈良公園や東大寺、春日大社へ向かうのだろうか。

 駅近くの知人宅で用事を済ませると、楽しそうに歩く人たちがだんだんと増えてきた。いつも休憩するコーヒー店が閉店している。お店もどんどん移り変わってきた。

 さて、ここから二件の画廊へ友人の展覧会を見に行くために、京都に向かう。先の長い道のりを考えて、特急に乗ることにする。少し贅沢だが、空いている列車の広い窓から、紅葉する雑木林をぼーっと眺めていると、不思議と平な気持ちになってくる。奈良から京都までの間も、住宅風景が増えたが、合間には、手付かずのまま時代が続いて、遠くの空がポカンとこちらを迎えてくれる場所がある。平地の向こうの低い山々が、モコモコとまだらに紅葉している様は、穏やかでのどかだ。

 三十分もすれば、特急は京都駅に到着した。午前の終わりの光を浴びた移動は心地よい。さて、覚悟を決めて、京都駅から地下鉄の方へ向かう。駅はもちろん普段よりも賑わっていた。丸太町まで移動するのにホームに降りようと階段の上から見たときは、怯んだ。人がホームの幅いっぱいで入る隙間がない。
 コロナ中の情景がまだ頭の中に残っているので、くらっとする。
あの静かな空気はもうないのだ、仕方あるまい。平日一時の地下鉄ラッシュ。ここは大阪の御堂筋線ではない。幸いに四条を過ぎると乗客は減り、着席できた。
 京都に住んでいる友人たちの生活が難儀になっている話を聞く。観光名所や繁華街近くだったら、市バスも車も動かない状態になっているという。これから、この町の日常がどうなっていくのか心配だ。訪れない方がいいのではないかとさえ思ってしまう。

 目指す一件目の画廊は、堀川通りの西側に新しくできた建物の中にある。丸太町と今出川のちょうど間。てくてくてくと、空きが多くなった堀川商店街を歩いていると、学生時代の頃を、ふと思い出す。堀川にはまだ川が流れていた。今もところどころに名残の小さな橋がある。
 少し雲が降りてきて秋も終わりに近づいたと告げるような京都の空。この辺りまで来るとそれほど人は多くない。 

 目的の一件目の展覧会の作品は、繊細な木版画の仕事で、今回本も出版されていた。手と時間のかかった丁寧な仕事を見終えて、一階の大垣書店で来年の手帳を買う。「堀川新ビルヂング」というおしゃれな建物を後にして、次は三条木屋町あたりまで移動する。とりあえず堀川通を南北に走っている市バスで、御池まで行けば、地下鉄東西線で三条まで入ることができる。二条城へ行くお客さんが多いのだろうか、そこそこ人が乗っていた。
 東西線のホームで時々どちらへ乗ればいいのか尋ねられることがある。京都の住人ではないが、東西南北はわかるので、昨日も答えた。多分、西向きの「天神川」が馴染みの薄い地名なのかなと思う。確かに京都の名前は難しい。いや、住んでいるところ以外の土地へ行くと、そのと地の名前には独特の由来があるから難しいのは当たり前か。

 ゆらゆらぶらぶらと歩く人の流れに沿って、三条通に面した新しい画廊で、二つ目の展覧会を見る。ウィンドウは全てガラス張りなので、外からもよく見える。中に入って、小さいものから大きなものまで目つきが可愛いようで少し怖い動物の彫刻をじっと見る。素焼きの上からオイルで着彩された小さめの新作にしばらく見入っていた。

 お昼ご飯を食べていないことに気がついて、まだ空いているかなと、先斗町の入り口のお蕎麦屋さんに入る。ここは午後三時で一旦お店を閉めるので、間に合わないことが多い。駅近なので、かつてはよく利用していた。
卵白をホイップのように泡立てたものがたっぷりそばの上にかかっていて中が見えない有喜そばを注文する。量が増えたのだろうか、お腹が空いているはずなのに。あるいは私が少食になったのか。それくらい長い間ご無沙汰のお店だった。

 お蕎麦を食べ終わって三時も遠にまわり、しばらく展覧会のチラシなどを読んでフーッと息をつく。お店を出て三条大橋を渡り、すぐ京阪のホームに潜り込む。帰りの特急をプレミアムカーにするか否か迷ったが、この時間帯なら大丈夫だろうと、とりあえず始発駅の出町柳から乗ることにした。二階建ての車両の地下の窓側に座って、ぼーっと出発を待つ。三時半ごろだろうか。三条駅に着くとホームで待っている人の多いこと、あっという間に車両は満席になった。

 ほっとしてもたれる窓の外に、京都と大阪の東側の風景が流れてゆく。ほとんど住宅や工場などで、空き地が少なくなっているなと思えば、淀の川あたりで急に草むらが見えてきた。奈良と京都の間には川がなかったが、京都と大阪の間は、川で繋がっている。この流れに沿って両側の平地はどのようなものだったのだろうか、あの山はどのように見えていたのだろうかと、ぼんやりと思いを巡らす。そんな風景を描くことができればと、またぞろ欲も現れる。

 通学していた頃は、まだまだ空き地が広がっていた。窓から景色を見ているとある場所で、いつも剥き出しの炎が上がっていたことを必ず思い出す。焼却場だったのだろうか、タルコフスキーの映画に出てくる、小屋が炎上するシーン。映画の炎を見た時に、私は「あの炎だ!」と叫びそうになった。
思春期の回想は、思い入れが激しくどこか夢想めいている。
 隣の参考書を読んでいる学生を見て我に帰った。私が夢想している間に、車両の空気は重くなり、ふりかえればなんと通路も空きがなく満員ラッシュになっていた。狭い通路に一列に並んだ横顔の数々が物語るものが、私を圧倒する。
 
 京橋駅で早々と降り、人の流れのままに環状線に乗る。出発した鶴橋駅を通る頃は、赤々と西日が輝いていた。

 たった八時間の旅だった。しかし、翌日は全く動かず動けず。猫が横でずっと寝ている。現実の三都物語は過剰なタイムスリップで、ヴァーチャル以上に頓珍漢になってしまうのかもしれない。

©️松井智惠                 2023年11月25日筆

 
 

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