7月1日の戯言
ナラティブに満ち溢れた世界で、虚偽を問い、かと言って物質だ精神だと分けて考えることはもはや、将来を見通す方便にはならないだろう。
ナラティブを生産する機能は、人に元々備わっているものだ。
思想信条でそれを押さえ込むことができなくなっている今、もはや共同体の物語さえ、飽和状態にある。
一つの世界の中で起こっていることが現実だった世界は、ゆっくりと確実に変化している。
そう、草薙素子はすでにこのネット上に現れて久しい。
とどのつまり「私」とは離れることはできないが、かつてのように「私」の物語を他者に強制すること、共有することが果たして存在と結びつくのだろうか。
主観と客観という見地の他に、もういくつかの方向からの光が必要だ。複雑そうに見えている「私」はもはや「存在」や「不在」、「非在」の状態を同時に表すことも可能な仕組みになっている。
ステイトメントの書き直しをしなければならない気持ちが無性に起こると同時に、あい変わらず時代劇を見てほっとしている。
マプリーが「エターナルズ」でVFXを駆使した怪獣を、武器なしであの上腕二頭筋から繰り出される素手で叩いてやっつける。
見出したものの、面白くないので停止中だが、シーンを見て、ふと考え出した。
©松井智惠 2023年7月1日
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