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久しぶりに見たいい絵

 今日はオフの日で、猫たちと遊ぶ=「ニャンコサービスデー」なのに、キーボードを叩き出した。オフの日の文章なので、思いつくままの駄文を。


 どちらかというと、人に教えたくない展覧会をいつも開催してくれる大阪は西天満のBEAK585GALLERY。
https://beak585.com/hiinatochihara-soloshow2023/

 近くのギャラリー白では絵画展「ペインタリネス」。
双方を見ると、似て非なる「絵」を体験できる。

 同じ時代でもこのように全く違うアプローチが共存する状況は、決してネガティブに考えるべきではないと思う。ある時代を象徴するかのように、一つの流派の描き方へ作家が流れていく時代はとうに終わっている。
そのことには、勿論PCの登場とネット世界の拡大が、とても大きな役割を果たし、この先もさらに私たちとの関係は途切れることはない。

 最近では、ネットの中では出会えないものを見つけにいくことが、現実行動の中に含まれている。また、一時期のようにハリケーンのような勢いで、あらゆるもの、個人が経験したことを画像化して、SNSにアップする感覚も、静まり変化している。

 私は最近、仕事以外で写真を撮ることを忘れるようになった。今まで大量に溜まった何万ものデータを選別する時間を人生の中で使いたくないなと、単純に思っただけである。消去するのは簡単だが、スナップショットは意外と絵を描くときに役立つこともあるからやはり一枚づつ確認する。

 スマフォのせいで、ミラーレスのSIGMAが忘れ去られている。スマフォは手軽で綺麗に撮影できたデータを、そのまま仕事先へ送ることができる。PDFにも変換できる。無くなると困るツールになって久しい。画像を作品として残したければ、後から加工すれば良いということも可能になっている。 

 多様性の中に現れる数多くの作品。今起きていることを書くことは非常に難しく、価値をそこで決めてしまうことの危険性もあるが、美術に特化した現在の評論が発表される媒体が必要だとつくづく感じる。特にサイトやメール配信で伝わらないことが増している。

 ネットの中では、評論家ではない人々が、コツコツとブログで展覧会を見た感想を描いていることがある。現代美術に限らず、アートを言語化することは、誰にでもできることなのだ。言語化することで、視覚から得たものを逆さ文字にして、「鏡」に映すように。栃原さんが見つけた作品の生成方法は、他のことにも応用できる。同じように「鏡ーmirrorー」というお題で来年展覧会をする身にとって、さあ、どうしましょう。

 自分自身の展覧会評を探すときに、最近は肩書きのないこう言った文章も数多くあり、それを読むことで新鮮な思いをすることもある。

 研究論文にはない読みやすさのある、丁寧に書かれた鑑賞感想文は、読む人の心に響く。既成のメディアのフットワークの重さ、多すぎる展覧会情報のサイトから少し離れたところに、ふっと息継ぎができる空き地がある。


栃原比比奈さん「鏡のメタファー」9月16日(土)まで。
おすすめです。

©️松井智惠                2023年9月8日筆


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