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干支は午睡に

 今年ほど、正月が不思議に思える年はない。なぜだろうか。

 あと数時間で、今年の干支が牛から虎へと変わる。随分と大きな違いだ。牛は、働き者で乳も肉も皮も私たちに与え続けてきた。人と牛とのおつきあいの歴史は長い。虎はどうだろうか。野生の虎のいるところで暮らしていないので、人と虎とのおつきあいはどのようなものなのかわからない。私は動物園や、絵画や画像で知るのみだ。

 虎は少し超越した神性を纏っている。誰も真近に目の前にいる虎を見て絵に描いたわけではない。毛皮になった姿から想像し、話を聞いたり、古の形を辿りながら絵姿は作り出された。ユーラシア大陸に悠然と暮らしていた虎は、中国大陸から朝鮮半島との交易とともに、日本に伝わったと思われる。

 ほら、金色の虎が惰眠を貪る私の頬の横を通っていった。

 無駄な昼寝をしているときは、いつも私の頬の横には黒い飼い猫がいる。ふんわりとしなやかな毛に埋まると、吸い込まれるように眠りに落ちてしまう。11月は個展も終わり、溜まっていた雑用をこなしていくと、もう一年が終わった感じがした。

 今年は前半から11月まで、予定にはなぜか空きがなかった。夏には大阪の感染があまりにもひどく身近で慄いていた。一方で自粛解除後は、時計を戻すかのように、街に人の出が急増する。この一年の間に私が見たもの聞いたものが、同じ街の時間軸の中で行われたのだろうか。例えば私個人の時間がひと月間くらいどこか別のところへ行ってしまったのだろうかと、不安が持ち上がった11月の終わりだった。

 12月になると、来年や再来年の展覧会の打診や打ち合わせがメールで入るようになる。今年に私が為したことを振り返るまで、解除後の世間は待ってくれない。延期になっていた展覧会が実現に向けて進められる状態になっているのはありがたいことだ。しかし今刻んでいる時間は、以前と共通するものではなくなったと、ふと思う。再来年はどうなっているのか、誰もわからない。もちろん、来年もだ。しかし今までもそうやって、不確定な時間を人は過ごしてきたのだと改めて思う。『時』とは何なのか。いらぬ足かせをまた自分にはめてしまった。12は時の単位とすれば、12日生まれの私は、時と密接なのかと、根拠のない迷いごとを考える。失ったひと月は、閏年だったのか。12支は来年虎なのかと思いきや、職業柄急に焦って虎を描こうとするが、一向に手が動かない。虎は人よりも高貴で嘘のない生き物だ。

 冬至に向かい、西向きの窓からの陽射しで午睡を貪っていた時に、金色の虎が私の頬の横を通っていった。ただ眩しい黄金色の毛並みが目の前をよぎった。全体の姿は見えないほど大きく、私は恐れる気持ちが起こらなかった。年の変化は、私が恣意的にできるものではない。干支に任せておけばいい。あるいは天空の摂理か無量の不可思議光が司る。

 赤茶のトラ猫が黒い猫の代わりに潜り込んできた。窓からの夕陽を受けて金色に輝いているお腹が垂れて私の頬を覆った。

2021年12月31日  筆

©️松井智惠





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