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名のある宝


 国の有名なお宝の、伴大納言絵巻を初めて見た。会場に入ると、壁面のガラスケースの中のわずかに傾斜をつけた台上に、絵巻は三巻ともすべて広げられて展示されていた。

 当たり前だが、展示された絵巻を私は歩いて、見た。ガラス面と絵巻との間は、描かれたものの細かな部分を楽しむには不適当だが、お宝であることを意識するには充分な距離があった。私はガラスの表面にべったりと鼻を擦り付け、小まめにガラス磨きに専念する係員の手をわずらわせた。
 絵巻物を見る本来の距離は、展示場では関係がないようだった。それが残念であったけど、座のそばで広げられる範囲で、途切れることのない部分を手で繰り出しつつ見るための絵巻物は、その長々とした全貌を一度に展示されることはめったにない。だから、実際に手に取ることはできなくても、一つの絵巻物を成り立たせている絵師の意図を楽しむことは充分できた。作者不詳とされているが、この絵巻を描いた絵師自身を見ることができて貴重だった。
 実際に繰り出される場面のつながりを、全体の絵巻の中で、絵師がいかに見る者に印象づけようとしていたのかがよくわかる。また、場面場面の、表情豊かな人物表現によって、見る者は物語の細部にまで引き込まれるだけに、なおさら全体を関係づける客観性をもつ職人絵師のすごみが伝わるのである。

 名は残らずとも、この絵巻があることで、絵師のすごみのある姿は今なお生きつづけている。かたやお宝の名の伴大納言という人物は、放火という、ものの姿を消してしまう行為によってその名を留めている。この二者が対をなしてこの絵巻の魅力が完成するのだと勝手にうなずいて会場を後にした。(現代美術作家)

©️松井智惠 
2022年6月16日改訂  1994年11月18日 讀賣新聞夕刊『潮音風声』掲載 

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