感想:ドキュメンタリー『物ブツ交換』 鑑賞者は第三者ではない

【製作:ジョージア 2018年公開 Netflixオリジナル作品】

コーカサス地方に位置する国ジョージアで、都市部と農村部を行き来する商人を取材したドキュメンタリー。

本作が描くのは、農業従事者に対する搾取の構造である。
商人は都市部で洋服や雑貨などを仕入れ、そうしものにアクセスする機会の少ない農村部に赴く。
彼は商売の際の通貨としてジャガイモを用いる。地元の住民が収穫したジャガイモと、洋服・雑貨を「物々交換」するのだ。
ここで求められるジャガイモの量は、対価となる品物の価値と釣り合っていない。ストールや口紅、服用のブラシといったものでもジャガイモ5kgは下らず、ブーツであれば25kgを要求される。
しかし、目新しい品物を求める人々は商人のつけた「値段」に応じる。こうして集まったジャガイモを商人は市場で売り、利益を手にする。

商人を挟まずにジャガイモを直接売る方が多くの通貨を手にできることや、都市部で洋服や雑貨がどんな値段で売られ、どれほどの価値を与えられているかを住民達はよくわかっていない。
本作では、彼らの人生が地域で農作物を育てることや畜産に捧げられ、共同体の外の世界にはほとんど触れずに過ごすことが示唆される。
大学で学ぶことに憧れたが叶わなかった老人と、ジャーナリストになりたいという夢を自ら語ろうとしない少年には通底するものがある。
また、本作の映像では「反復」のモチーフが頻出する。
ジャガイモの収穫に使う機械の回転し続けるモーター、カメラを見ながらブランコをこぎ続ける少年、その場で上下にジャンプし続ける子ども達。これらは、経済的に豊かでなく、教育も十分ではないために選択肢の少ない生活が再生産されていることを象徴する。

加えて、このドキュメンタリーはPOVショットを用いることで、映像に相対する鑑賞者を「搾取する側」に置いている。
商人と住民のやり取りの際、カメラは常にディスプレイを兼ねた車の荷台に固定される。これにより、品物のディテールではなく、それらに興味を持ち、目を輝かせたり、品物への対価を払えないことを嘆く人々の顔に重点が置かれる。鑑賞者は常に「品物」の目線から彼らをまなざすことになる。
本作では撮影対象の住民がカメラを意識する様子も強調される(=彼らは撮影されることに慣れていない)。ここからも、観る者と観られる者の間に生まれる権力構造が浮き彫りになる。
実際に、このドキュメンタリーにアクセスしていること自体が、鑑賞者に教育・文化の面で一定のアドバンテージがあることを裏付ける。
作り手は、「優越した」立場から農村の人々を見て何を感じるのか、何ができるのか、という問いを鑑賞者に対して投げかけていると感じた。

考えることや行動を起こすことは義務ではなく、どんな感想を持つのも鑑賞者の自由である。また、「環境や条件に恵まれているか否か」は本人が決められることではない。
そのため、たとえ恵まれていたとしてもそれは自然の摂理のようなもので、他人に分け与える必要はないという考え方も存在する。
これを裏付けるのが、価格交渉を持ちかけられた商人がしばしば口にする「俺にどうしろと?」という言葉だ。
その姿勢は他律的だが、彼自身も貨幣経済に操作され、生きるために商売をしているのは確かだ。実際にそのように割り切って、他者が著しく不利益を被るような仕事を行う人も数多くいると思われる。

商人は人々が育てたジャガイモを手早く売り、すぐに次の仕入れに取り掛かる旨を取材者に語る。
彼がレストランで牛肉のスープとポテトのスープのどちらを選ぶか訊かれ、迷わず前者を選ぶ音声がエンドロールに重ねられる。
映像内では農村の人々の語りや表情、そこから窺える背景が強調されるが、「割り切った」商人はそうしたディテールを捨象し、彼らや彼らの作物をツールとみなしていることがわかる。

自分達が搾取を行う主体であると認めることも、自らの利益をある程度あきらめ、他者と分かち合うことも容易ではない。
しかし、それでも搾取構造があることを知らなければ、今後も現状が再生産され続けるのみである。
本作は明確なメッセージや行動指針を伴わないものの、鑑賞者に問題提起し、その答えを委ねることで、繰り返される社会構造を変える契機をつくろうとしているように思った。

ジャガイモと社会についての書籍を読んだことがあるのだが、その記述は本作の内容に当てはまるものだった。
ジャガイモは栄養価があり、大量に育つため、特に経済的に困窮する地域の人々には重宝される一方、病気や気候の変化に弱く長距離移動に向かないため、作物を元手に豊かになり、世界を広げるといった現象が起こりづらい。このため、どんな場所でも常に「貧者のパン」になる傾向にある、というものだ。
良くも悪くも「土地に根づく」性質は、本作における社会構造の再生産の構造ともリンクしていた。

個人的には、苦境や不均衡に対して「そのように生まれついたのだから仕方がない」という考え方は不誠実であり、いずれ自分自身を苦しめるものだと考えている。
このドキュメンタリーにアクセスし、状況を「俯瞰」できる環境にいる人間として、何らかの形で搾取構造の変革にコミットできるようになりたいと思った。

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