感想:ドキュメンタリー『スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち』 身体の拡張

【製作:アメリカ合衆国 2020年公開】

映画やテレビドラマのアクションシーンを撮影する際、本役の俳優の代わりに身体的なリスクの高い演技を行うスタント俳優。
その中でも女性のスタント俳優に焦点を当て、彼女達の日々のトレーニングや仕事への姿勢、女性スタントの歴史、キャリア構築など、様々な角度から取材を行ったドキュメンタリー。

高所からの落下やカーチェイス、臨場感ある肉弾戦など、スタンドが立てられるアクションシーンは大胆であり、観る者を刺激するダイナミズムを映像に与える。
一方で、アクションを仕事として行う上では、事故を防止し、安全にパフォーマンスを行うための緻密な危機管理やシミュレーション、アクターを守るための雇用システムの構築が欠かせない。本作は、「本役の影」であるスタント俳優の仕事に焦点を当て、エンターテインメントがどのように作られるかを示すドキュメンタリーだ。
加えて、スタント史やキャリアに触れるパートでは、女性スタント俳優が対峙してきた性別へのバイアス・不平等な扱いについても触れられる。

スタント俳優は、「本役の身体を拡張する」役割を担う。
本作のプロローグには、同じコスチュームを着たスタント俳優と本役のツーショットがずらりと並ぶショットがある。
「同じ人物がふたりいる」ように見せる、すなわちスタントを行う自らの身体と、他のシーンでの本役の身体が連続的なものにみえるように、スタント俳優は役に合わせて体型を調整する。
顔や名前といった自己を名指す記号を後景化し、身体による動きを見せることを目的とするスタント俳優の在り方は、人間の表象の平板化が進む現代では新鮮だと感じた。

俳優達は日々トレーニングを重ねて強靭な肉体をつくりあげ、様々なシチュエーションに対応できるよう準備をする。
スタントの中でも、カースタントは独立したジャンルとして専門性を持つほか、火災シーン、格闘など、個々人によって得意分野があるが、いずれにも共通するのは念入りなシミュレーション、危機管理である。
取材対象の俳優のひとりは「少しでも恐怖を感じたらそのまま演技をせず、撮影の方法を再確認するのが正解であり、断るのも重要な選択肢である」と語る。
スタントでは、死亡事故や、身体に大きなダメージの残るアクシデントが頻発する。俳優達も、準備不足や偶然の要因により、危険に晒された撮影現場でのエピソードを述懐する。
窓ガラスを全身で破るアクションは、俳優が突っ込むタイミングに合わせて窓ガラスを割ることで身体へのダメージを抑え、火の中を掻い潜るアクションでは全身に耐火ジェルを塗って撮影に挑む。
「離れ業」を生身の人間が演じるにあたっては、綿密な段取りや、スタッフの危機への認識、連携が必要だ。撮影前にCGを用いてシミュレーションすることが推奨されるなど、分析や計画が重視されることがわかり、刺激と興奮をもたらすアクションシーンの効果とは好対照であると感じた。

「身体を拡張する」「人間の可能性を広げる」ことは、映像作品の大きな意義のひとつといえ、古典映画にもアクションシーンは多く存在した。
映画の勃興期は、現代より遥かに安全対策が疎かであったが、女性の役のすべてスタントは女性が行っていた。
しかし、映画が商業的な成功を生み出せるメディアとして発展するにつれ、女性役のスタントを男性が行う例が増えていった。
1970年代のテレビドラマ『ワンダーウーマン』や『地上最強の美女たち! チャーリーズ・エンジェル』に出演した女性スタント俳優の仕事は、一度「男性のもの」とされたアクションを、女性にも可能であると示すものだったと語られる。また、雇用機会の獲得を目指す点では、アフリカ系俳優の運動と並行するものであり、俳優による組合活動も活発になった。

危険を伴うアクションは女性に向かないというバイアスが未だにある一方、実際には本役の衣装の都合上、女性スタント俳優の方が肌の露出の多い状態で演技に臨む必要がある(=よりリスクの高い困難な仕事をしている)などの矛盾も存在する。
アクションシーンを主導するアクション監督は、キャリアを重ねたスタント俳優が勤める場合が多く、ここでも女性のさらなる登用が求められる。
本作では、前述した入念な準備の必要性から、より分析的で繊細な傾向のある女性に適性があると述べられるが、個人的にはこの理由づけはあまり好ましくないと思う(女性脳/男性脳のような、性差による能力・役割の定義につながるため)
ただ、伝統的な「男らしさ」概念と親和性の高いチキンレース等への傾倒、「臆病」を忌避する姿勢などを克服できるという点で、アクションシーンにおけるマッチョイズムの批判には意味があると考えた。

出演する女性スタント俳優の考え方は様々であり、女性としてアクションすることの意義を語る人もいれば、性別に関わらず、ひとりの俳優としてクオリティの高いパフォーマンスをしたいと言う人もいる。
ただ、どちらの場合にも共通するのは、不可能に思えるアクションを遂行することにやり甲斐やカタルシスを感じ、スタント俳優としての仕事をしていることである。
スタント俳優は本役の身体を拡張すると同時に、人間一般の身体の可能性を拡張する存在ともいえる。
女性スタント俳優の活躍は、女性に付き纏うバイアスを克服し、女性の可能性を拡張することと密接につながっていると感じた。

スタント俳優は身体の鋭敏な動きが重要視される仕事であるため、歳を重ねることはネガティブなことだと捉えられる傾向にある。『ワンダーウーマン』でスタントを務め、多くの俳優のモデルロールであるジニー・エッパー(1941年生)も、引退後の自分のアイデンティティに悩んでいると語る。
インタビュアーの現役俳優は彼女が積み重ねてきた功績を称えるが、これもやはり過去のエッパーの活躍を前提としたものだ。もう少しエイジングに対して前向きになれる方法はないだろうか…と思った(これはスタント俳優の匿名性/身体優位という特質が持つ側面のひとつであるため、かなり難しいのはわかるのだが)

また、スタント俳優は家族で同じ仕事に就いている例が多いように見えたのが印象的だった。専門性が高く、「職人」としての性質が強いからだろうか……これについてはもっと調べてみたい。

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