感想:映画『サムワン・グレート 〜輝く人に〜』 2010年代のリアリティ・バイツ

【製作:アメリカ合衆国 2019年公開 Netflixオリジナル作品】

30歳を間近に控えた音楽ジャーナリストのジェニーは、念願が叶って「ローリング・ストーン」誌の編集として働くことが決まる。
しかし、9年付き合ったパートナーのネイトは彼女の転居に伴う遠距離恋愛を受け入れられず、ジェニーに別れを告げる。
落ち込んだジェニーは憂さ晴らしと転居前の思い出づくりに、大学時代からの友人ブレアとエリンを誘い、当時のようにクラブで踊り明かして楽しむことを決める。

本作は、就職して5年強の時間が過ぎ、ライフプランを見直す時期に差し掛かった女性達が、学生時代を再現することで自らの変化を認識し、前向きに現在を生きる手立てとする、という筋立てだ。
喜びと刺激に満ちた学生生活と、就職後のままならないことも多い現実を対比する物語は、『リアリティ・バイツ』や『セント・エルモス・ファイアー』など、青春映画の定番のひとつである。本作も、物語の大枠の展開そのものは上記の作品群と大きな差異はない。

ただ、作品を基礎づける価値観は2019年の潮流を汲んだものであり、「アップデートされたベタな物語」として個人的には快く観ることができた。

本作は、「女性が自分のキャリアを最優先する」「結婚が前提にならない」の2点を踏まえている。30歳の女性の生活を中心に描いた作品でこれに当てはまるものは非常に少ないのではないかと思う。
主人公ジェニーは、3人の中では最も恋愛にかけるエネルギーが大きく、ふとしたときにネイトと過ごした時間を思い出して一喜一憂するものの、「ローリング・ストーン」誌への就職をあきらめてネイトの傍にいようとは決して考えない。この選択肢は会話の俎上にもあがらず、ジェニーは常に「遠距離恋愛を前提としてよりを戻せないか」と「いかにネイトを忘れるか」の間で揺れ動いている。
学生時代には「30歳までに結婚する」と宣言していたブレアは、重要なプレゼンを任されるなど仕事に充実を感じていてる。安定した未来の望める堅実なパートナーとの関係に退屈し、遊び好きな男性(しかも友人の元パートナー)との奔放なセックスに喜びを見出す。
エリンはレズビアンであり、ブレアとは反対に学生時代から多くの女性と気楽な関係を楽しんでいたが、ジェニーやブレアの転機に刺激され、パートナーのリアと真摯に向き合うことを決める。彼女がこれまで長期的な関係構築を避けてきたのは、「一時的に女性との恋愛を楽しみ、生涯の伴侶には男性を選ぶ」といった異性愛至上主義的な考えのパートナーに傷ついたことがあるためだと語られ、ここでも伝統的なライフプランに寄与しない姿勢が窺える。
比重の多寡はあれど、彼女達にとって恋愛は人生を充実させるための要素のひとつであり、パートナーを得ることに全てを賭けるような姿勢はみせない。
30歳という年齢についても、精神的な成熟や、大人として責任を果たすという文脈では触れられるものの、外見やステータスに対するバイアスは排され、歳を重ねることを経験を重ねることとみなして楽しもうとするスタンスが一貫していた。

現実には、本作のように結婚や周囲からのまなざしを意に介さず女性が好きなことに邁進できる環境は少ないと思われ、だからこそ伝統的な価値観との葛藤をテーマにした作品が多いといえる。
本作はその意味ではリアリティに欠けるが、様々な選択肢を互いに認め合う理想の世界を描くことには意義があると思う(多様性の観点からは、異性と法律婚をするキャラクターがひとりいた方が包括的で良かったのかもとも感じるが)

主役の3人組はそれぞれラテン系、白人、アフリカ系とルーツが分かれている。ジェニーのTシャツに"LATINA"と描かれているなど、彼女達はごく日常的にアイデンティティを自覚し、主張している。
ほかにブレアの持つマグカップに"FEMINIST"のロゴが入っているなど、彼女達の社会構造への関心の高さを小道具で示す演出が多かった。
作中でのジェニー達の行動は方々で大麻を求め、大量に酒を飲み、音楽に合わせてひたすら踊るなど奔放なもので、脚本の上では直截的な社会へのメッセージはほとんどない。
羽目を外して遊びに興じ、時には失敗もするような「等身大」の暮らしと社会への積極的なコミットは両立しうるものだと示しているように感じた。
『リアリティ・バイツ』というタイトルはままならない現実を思い知ることから来ているが、本作の場合はむしろ主人公達のほうが現実に噛みつき、味わい尽くそうとするところがある。就職したての時期か数年経過しているかという経験の差もあるだろうが、以上の点からも本作は青春映画をアップデートしていると思う。

とはいえ、キャリアを重視しているジェニーが、憂さ晴らしのためにブレアの大切な仕事を中断させるなど、気になる点もあった。
レズビアンの丁寧な描写に対し、ル・ポールをはじめとするゲイの役割は主人公達を人生の先達としてサポートするのみで、いわゆる「マジカル・ゲイ」といった印象が強く、バランスを欠いていたとも思う。

冒頭のジェニーとネイトの9年間をSNS投稿を通じて総覧する演出が面白かった。バースト機能で撮った大量の写真をつなげたぎこちないアニメーション、「パートナーの家族に会うときの服装ってどうする?」という若干マウントのような投稿、「●周年記念プレイリスト」など、数々のイベントが記録されたときの鮮度を保って振り返られるのはデジタル時代ならではだと思う。
作中でもジェニーがネイトとのやり取りをしばしば回想するが、こちらは脳内でのプレイバックなので、やはり現実よりも誇張されている面があると考えられる。画像やテキストによる記録は一定の客観性が担保されているため、改めて見た際に「意外と美しくなかった」「記憶より楽しそう」ということも往々にしてあると思う。
記憶と記録のギャップをもう少しクロースアップしても面白かったのではないかと感じる。
SNSのBGMが過去の失恋時と同じものに変わったことで、ジェニーとネイトの別れを周囲が察するくだりが個人的にとても好きだった。

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