感想:映画『デンジャラス・ビューティー』 新世紀前夜の女性達

【製作:アメリカ合衆国 2000年公開(日本公開:2001年)】

グレイシーは、熱意に溢れているが早とちりやミスの多いFBI捜査官の女性。
思うように仕事ができない歯がゆい日々の中、FBIが捜査対象としている組織からと思しき犯行予告が届く。各州から代表者が選ばれるミスコンテスト「ミス・アメリカ」で犯行が起こると予測したグレイシーは、潜入捜査のためミスコンに出場することになる。
しかし、幼い頃から利発で身体能力も高かった一方、おしゃれには興味のないグレイシーは、美容に疎く、さらにマナーや立ち居振る舞いも身についていない。
往年の辣腕プロデューサーであるヴィクターの力を借り、短期間の特訓でなんとかミスコン出場者に擬態したグレイシーだったが……

対象の美しさを競い合うミス(ミスター)コンテストは、出場者を客体化して消費するルッキズムの性質が強いことから、現代では批判される傾向にある。2020年のハリウッドであれば、ミスコンに肯定的に言及する作品そのものが製作されない(たとえされても、世界に配給されることはない)と思われる。
本作でも、ミスコンの主催者であるキャシーが「フェミニスト、インテリ、"醜い女"」から攻撃されている、と発言する通り、20世紀末には既にそうした批判は一般的だったと考えられる。一方で、ポピュラーカルチャーにおいては、現在ほどルッキズムや女性への消費的なまなざしについて明確に疑義を唱える姿勢は浸透していなかった。
こうしたジェンダー観の過渡期にあって、本作はミスコンの在り方そのものを否定することはない。しかし、「美しいが何も考えていない」とみなされがちなミスコン出場者の女性を立体的に描き、女性どうしの前向きな関係を提示することで、ジェンダーバイアスを打ち破ることを試みる作品である。

本作の主人公グレイシーは、高い能力を持ち、男性と同じ立場で働く女性であり、「女性らしくない」ことで職場でからかわれたり見くびられるなど抑圧を受けてもいる存在だ。一方で、彼女はそうした環境で男性的なまなざしを内面化している点もある。
潜入捜査をするメンバーを決めるために、FBI職員が水着を着た姿をシュミレートして「品定め」するシーンで、グレイシーは男性職員とともに年齢の高い女性が水着を着る様子を揶揄する。
また、ミスコンに出場する女性達の類型的な喜び方を茶化したり、ルックスを磨くことを重視する彼女達を「何も考えていない」というように表現したりする場面もある。
ミスコンに出場する女性達をステレオタイプ化し否定する姿勢には、ミスコンに批判的(あるいは無関心)な人々も傾倒しやすい。しかし、「女性どうしの醜い争い」を強調したり、「志や思想を持たない」といった先入観を持つことは、水着姿を消費したり見た目で順位付けを行うことと同様に女性に対する偏見であり、蔑みである。

本作ではグレイシーと出場者達とのコミュニケーションに焦点が当てられる。
グレイシーはヒールで頻繁につまずき、傍目にはやや奇妙な言動をとるが、冗談交じりの言葉で小競り合いを丸く納めるなど、持ち前の優しさとユーモアを発揮する。ロードアイランド代表のシェリルをはじめとした出場者達はそんな姿に好感を持ち、メイクの方法がわからないグレイシーの準備を手伝ったり、大会中ながら彼女が持ち込んだピザとビールでパーティーを開いたりと、信頼関係を築いていく。
出場者ひとりひとりのパーソナリティについても触れられ、「美女」としての記号化に抗う姿勢がみられる。出場者の人種は様々であり、ミス・アメリカに選ばれる先述のシェリルは素粒子物理学の研究をしており、動物愛護運動に参画している一面もある。他にも舞台上でレズビアンであることをカミングアウトする出場者がいるなど、それぞれがポリシーと目的を持ってその場にいることがわかる。
以上のように、女性像の画一化を拒み、ひとりの人間として彼女達を肯定する姿勢は、ラストのグレイシーが特別表彰されるシーンに最もよく表れている。パンツスーツ姿のグレイシーが色とりどりのドレスを纏った女性達に讃えられ、微笑み合う様子は、容姿や属性を問わず互いを敬愛し、尊重することの重要性と、それが可能であることを示す。

なお、本作ではグレイシーと同僚のエリックとのロマンスもあるが、ラストに据えられているのがこの表彰式の場面であることから、本作が女性どうしのリスペクトに最も重点を置いていることがわかる。恋愛のプロットはあるものの、メインテーマが別にある、女性をエンパワメントする作品としては『キューティー・ブロンド』と共通するところがあるように思う。
なお、グレイシーとエリックがFBIの練習場で力試しをするシーンがあり、寝技や足技を掛け合って互角の戦いを繰り広げる。激しく緊密な肉体的接触でありながらも、ウェットな演出や消費的なまなざしの存在しないこのコンタクトは、ベッドシーンとの対比として位置付けられているように感じて面白かった。

前述するフェミニズムや動物愛護、LGBTQ+の扱い方から、全体的にはポリティカルなものへのステレオタイプや偏見を暴く姿勢がみられる作品だった一方で、ゲイや「のろま」と表象されるような知的発達にハンディのあると思われる人の表象は気になった。

主演のサンドラ・ブロックの演技が印象的で、「空回りがちで情に厚い粗忽者」であることが伝わる表情や言動が良かった。エリックとの力試しのシーンでは思い切り顔を歪めるいわゆる「変顔」も見せており、彼女の振り切れた姿勢が、様々な女性の在り方を肯定する本作のテーマに一貫性を与えていたと思う。

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