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遊ぼう、ぼくは永遠を抱きしめているから

ぼくは無視する
すべての残酷は食卓に宿る、だからこそ
右手にナイフを、左手に愛を
だれかひとりを犠牲に、
または英雄にすることばかりが横行している
それはフォーカスのしすぎ
ぼやけること
そして点たちを適当に繋いでゆくこと

これはnoteをはじめた理由にも繋がるんだけど
と、ふたつめの前置き

ぼくは言葉をつかって
きみに(あるいはぼく自身に)聴いている
「きみはどう思う?」
いまやぼくの使う言葉は
すべて問いかけのためのものになった
たとえば自殺について、
ぼくは音楽がすきで
丁度この前カート・コバーンとかジミヘンとかが
死んだ歳になったけど
気分がいいのでしないつもり、
きみはどう? とか

それでいろんな言葉を聴いてみたい、という気持ち
返ってくる言葉の中身はなんでもよくて
ぼくは声だけで満足する
フェチなんだ
すきなものがありすぎる!

ぼくの花言葉はたぶん、忠実
そのおかげで矛盾も死も全然こわくなくなって
たくさんの人と出会い別れることができた
そんな中でも常に念頭にあったのは
自分のもちものをひけらかすことは
フェアじゃないという気持ち
お互いのものを全部交換することはできないからね
だからぼくはずっとメモ帳に、虚無に向かって
言葉を書いて生きてきた
でも、最近ふと思った
「ひけらかす」という言葉は
自分に対してしか使うことができない言葉だということ
そして、そんなじめじめしたこだわりはやめて
きみが語ってくれる言葉を聴いてみたいと思った
それが生きることのうち
ぼくが最もすきなことのひとつだから

付け加えるとぼくは
自分に対してしか使えない言葉をたくさん持っている
たとえば殴るとか捻りつぶすとか無能とか
断定表現とか命令文とかーーそういうつよい言葉たち
それらは全部ぼく自身に向けられている
自分を殴ることでぼくは更新されるから
それから生きているって感じがするから
ぼくは暗いものとか、みんなが捨てていくものを
いつまでも捨てられないでいる
無能なんだ

ぼくにはきみに何かを考えて欲しいなんていう
邪な気持ちはなくて、
純粋なきみのうちがわから出てくる声が聴きたくて
どうやったらそれを引き出せるかという
ごっこ遊びをしている(楽しい!)
それで沢山の言葉がどこかで降り注いだら最高だし、
「きらい」とか「死ね」って拒絶してもらっても構わない
むしろ拒絶されてから
ぼくの中ではじまる景色は
昨日までとまるっきり変わるみたいで、
控えめに言って興奮する(キモすぎ)
ぼくはそういう意味では
なにかよくわからない確信めいたものを持っている
たぶん、永遠を抱きしめているんだと思う
(でもやわらかい時もあるよ、気分屋だからね)

ぼくは無視する
ぼく自身がどうしたいかとか
どう思うかとか
どう思われたいかとか
そんなのはもう全然おもしろくない
更に言ってしまえば
ぼくは自分の行為自体にはまるで興味がない
おもしろいのはその先、常にその先にいるきみだ
だからぼくはぼやけて、
繋ぐため、遊ぶために
どうでもいいことみたいに書いている
ぼくが言いたいことは
最初からたったひとつだけ
「きみはどう思う?」

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