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八方塞がりだった私へ


1995年(平成7年)。社会人1年目の私。

5月には退職願を書いていた。


次の就職先を見つけて働かなきゃいけない。

ちょうど夏だったので、お中元の配送の倉庫作業のアルバイトをしながら、大混雑の職業安定所に通っていた。


新卒で就職した人が、初ボーナスがでた、というニュースを遠い国の話のように聞いていた。


ほどなく新聞の折込チラシで見つけた、小さな事務所で正社員の事務職があるということで、2ヶ月ほど働いた。


朝から深夜まで、人権侵害か?と思われるような場所で、2ヶ月の間ですら、次々に人が入りやめていく場所で、自分も早々に逃げることになってしまった。


ああ、もう正社員はこりごりだ。


とりあえず、働けそうな場所、正社員は難しいしで、学習塾の受付と事務の契約社員で働ける口をなんとか見つけた。


仕事は単純作業、時給は安い、だけど周りにいる人たちはとてもよくて、精神的に追い詰められるような場所ではなかった。


でも、このままでいいの?


毎週月曜に並ぶ、新聞の求人広告を隅々まで眺めて、

出しては返送されてくる履歴書の束をゴミ箱に捨て、

そして、窓から広がる田んぼをみて、ここから先にどうやったら行けるんだろう。

そう思わない日はなかった。


八方塞がりだった。


そこは絶望の底ではない


社会人1年目にして、ここは絶望の底で、人生も終わりだと思っていた私。


実は、その後、なんども底はやってくるし、なんどもいろんな場面で絶望を味わうことになるんだけど、


社会人1年目にして、八方塞がりだって思って、ひとしきり絶望に打ちひしがれて、だけど、あきらめがつかなくて、その時、手に届く情報、手に入れられる情報を頼りに、


何かをやり続けたことが、先に進むことになっているから


どういう状況になっても、何かを見つける力をつけたこと。

それが、明日とそして今の私を作ることになっているから、


あなたの経験した全てのことは無駄じゃない。


そして、幸運をつかむことができる時もあるし、そこからやすやすと転落することもあって、それは生きている限りずっと続くから、

ここが底、ここが頂点っていうのはない。

今日、できることを、やり続けるしかない。


ずっと、これからも。



さて、今日は何をするかな。


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