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43_「父リーハイは、自分の心に感じるままに、また自分の内にある主の御霊に従って、自分の家のすべての者に語った後、年老いて、死んで葬られた。」(2ニーファイ4:12)

よい親であろうと努めているものにとって、子どもたちや孫たちの幸せほどいつも心の中を占めていることはありません。
 
リーハイは、神様の指示によってエルサレムを脱出して荒れ野を旅して新世界へと導かれました。リーハイも親としていつも、子どもたちや孫たちが神の祝福を豊かに受けて欲しいと願っていました。そのためにいろいろな方法で、教え、説得し、訓戒と導きを与えました。特に、「あなたがたは間もなく父の体を冷たい無言の墓に横たえなければならない。…あとわずかで、わたしは世のすべての人のたどる道を行く。」と語り、自分の寿命を意識させられる状況になった時、忠実な息子たちの行く末だけではなく、すべての子どもたち、孫たちのことが心配になったに違いありません。
 
リーハイは「…おののく父の言葉を聞きなさい。」とすべての家族を集め「自分の心に感じるままに、また自分の内にある主の御霊に従って、自分の家のすべての者に語」り聞かせ、祝福を与えました。
 
わたしの育った家庭や結婚して新しく創り始めた家庭では、毎朝晩の家族の祈りと青天学習、毎週月曜日には家族全員が集まって行う「家庭の夕べ」、毎月第1日曜日の父親との個人的な1対1の面接、何かある時は必ず父親から神権の祝福を受けるといった伝統がありました。重大な決断をしなければならない時はもちろん日々の悩みや問題に直面した時、慰めや励ましが必要な時などいつも「家庭の夕べ」で教えを受けたり、父や母に個人的に相談したり、父が頭に手を按いて祝福を与えてくれたりしました。
 
思春期の多感な時期、宣教師として奉仕する時、就職や結婚で悩んでいた時、なんとか正しい決断をすることができたのはこれらの家族の伝統のお蔭だと思っています。
 
家族の中で、それまで家庭の大黒柱として、霊的な指導者として存在していたリーハイのような偉大な父親がいなくなるというのは、大きな悲しみと喪失感があったのではないかと容易に想像できます。わたしも62歳の時に98歳の父親が主に召され、主のもとに帰っていくという経験をしました。もう10年も前ですが、いまだに心に大きな穴がぽっかりと空いているような感覚があります。
 
わたしは、宣教師としての奉仕を終え、25歳で結婚し、家業を手伝いながら、大学に行きました。その4年間、両親と同居させてもらっていました。その後、就職をして新しい小さなアパートに引っ越しました。その時、家業を姉に譲り、両親は夫婦宣教師として伝道に出ました。その時が、実質的にわたしが長男としていろいろなことを引き継いだ瞬間だったように思います。両親はそれから約15年間、夫婦宣教師として2つの伝道部と4回の神殿での奉仕を経験します。これは、子どもたちだけではなく、孫たちにも、友人たちにも良い模範となってくれました。また、わたしの両親の晩年は、わたしからみても、人々を愛し、仕えた素晴らしい時間だったと思います。肉体は、年老いて、死んでクモラの丘霊園に葬られましたが、両親の模範や訓戒、勧告は、リーハイと同じように、いつまでも私たち家族の心の中に残り、語り継がれると思います。わたしたち夫婦も、そのような両親になることができればと願っています。ほんとうに両親に感謝です。

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