子供の教育
明けましておめでとうございます。
2023は少しでも皆さんの心や感性、感情に伝わるようなことを投稿できたらいいなと思います
昨年、年末のスキーに行ってきました、娘の保育園の同期15世帯が一同に集まって行ったスキー。昨年は初級コースでありながらも心が折れ、ほとんどスキーを滑らなかった
ただ、今年はリベンジしたいと計画の段階で参加を決意し、親もそれを期待していた
初日、本人やる気満々。早速リフトに乗り昨年滑れなかったコースを転びながらも滑走。親としてはとても嬉しかった。
が、本人それで満足してしまい『もう滑らない・・・』
なんで???理由は本人が転びたくないとのこと
昔から失敗をすることが恥ずかしいということがあり、ただ失敗は成功のためには必要なことで。また成功とは自分の中で決めるべきことなのだから他者評価のものではないとも思っている(ここではテストの合格のことや受験のことを言っているわけでないので)
親はここで彼女をどのように諭していくか
ちなみにうちの娘は優しく諭してもいうことは聞きません。むしろ何が重要で、なんのためにここにきたのかをしっかりと説明し、そういう意思がないのであればあなたの意思にそぐわないものは全てなくなるということ(ここで言えばswitchやポケモンゲームの撤廃)
彼女はその話をした後にその場(ランチの場)から離れ一人でゲレンデに向かう。自分は指導レベルの高い友人にお願いをしサポートを要請したが、その後に娘の取った行動とは・・・
近くにいた滑れる友人の父を捕まえてリフトに乗りコースをバンバン滑ったことであった。その後本人は楽しくなり、いろんな友人とリフトに乗って滑りまくり、翌日もガッツリ滑ってました。(最後は私とも滑り父は満足でした!)
さて、ここまでは父親のデレデレ話にはなるが、重要なのは教育で必要なのは親はきっかけであり、気づかせることだけであり、その教育の本質を指導すべきではないということである
サッカーの指導であっても水泳などのスポーツであったとしても。大人になってきて親の意見を聞ける耳と脳を持っているのであればともかく(子供でもその資質があれば別ではあるが)
なので、親が本質の指導をするのは『挨拶・礼儀・配膳、下げ膳・食事の仕方・入浴や歯磨き・部屋の片付け・絵本の読み聞かせ』と考える
学習などは親のレベルによって違うわけだし、お金あれば習い事させれば言い訳であって。ただ、大人になってくる20歳くらい以降になると、幼少期に親が出過ぎてしまった跳ねっ返りが現れる気がする。いわゆる非社会性と言われる働けない人間である
親は基本金だけ出せばいい、サポートに徹し、子供は歯を食いしばりながら汗水かき、ボロボロになりながら20歳代は自分がいかに社会に必要かどうか対応できているのかどうか、確認しなくてはならない
ここで言えるのは『子供をどれだけ他の人に任せられる親がいるかどうか』で、あっていちいちあーだこーだいう親は基本黙れと思う。
だから子供が働かなくても親は平然としていられ、今の政治家のように私がいなくなってしまえばその後のことは知りません状態となる。残された兄弟や親戚のことを考えよ
ましてやそんか子供に孫ができたらとてつもない話だ
誰がその孫を教育するの?本質を指導できない親が上っ面しか指導しなくなればそれはもう親の面子は丸潰れになるのは時間の問題である(いつかわかるからね、そのことに)
さて、いつも通りいろんなところに飛んでいるが笑
ADHDやASDに自分の子供はなってないって言ってる親は教育現場に一度行ってみたらいい、あなたの息子がどれだけのことをしているか
小学生になってまだそのことに気づいてなくて、子供の所作に目を向けずずっとスマホを見ていて鬱のようになっている親を何人も見てきた
起立がじっとできず、その場でいろんなところに目を向けているだけでADHDやASDの部類に入り、そういう子供は実は3歳や4歳で寝ながらじっとするという訓練を受けているのだ
これも親がそうじゃないという枠に入れたくないからといってプライドでそういう学習の場を探さないのが原因なのだ
今一度考えよう
親ができることは本質だけであって、その本質でもトラブルがあるのならばそれはプロに任せるしかない
そしてその本質が定まってきた上に学習が乗ってくるのだ
親のできることはほんの少ししかない
自惚れるな、親よ
客観的視野を持て
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?