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ドクターあやの自己紹介①幼少時代

臓器との対話を用いて
心地よく健やかな
毎日作りを提案しています。

ごきげん医学研究所所長の医師
ドクターあやです。

コンパクトな自己紹介は
こちらから↓

何回かに分けて
わたしのここまでの人生を
振り返ってみようと思います。

この数年で
いろんな事が起こり
なぜ今ここにいるのか?について
話すことが増えたので。

社交的でエネルギッシュ
順風満帆な人生と思われてる方も
多いかもしれませんが、
全然そんなことありません(笑)

むしろだいぶ色々遠回りしてきたと思う。

これが誰かの励みになったり
氣付きになったらうれしいなと思いつつ
だーっと書いてみることにします。

控えめに言って
だいぶ面白いです。
では行ってみよー!

***************

生まれも育ちも青森県です。

父は医師。
ここだけの話
内科医なら
使ったことがない人はいないであろう
検査を開発したひとです。

過労で倒れて
患者さんが亡くなって空いたばかりの
ベッドで休まされたとかいう
過激なエピソードもある一方、
プライベートでは子煩悩、多趣味で
料理好き。
ラーメンを
出汁や麺打ちからやってみたり
衣装ケースに何玉も
白菜キムチを仕込んでいた時期も。

わたしの凝り出すと止まらない性格は
父譲りかな。

母は主婦時々ピアノの先生。
こちらも料理好き。
一緒にパンやお菓子を焼いた記憶が
残っています。
お裁縫や編み物などの素養も
母から受け継ぎました。

そして、やたらよく笑う。
時々心配性過ぎる嫌いはありますが
基本的におめでたいひとです。

そんな両親の長女として生まれました。

勉強しなさいと言われたことはなく
父が釣りをしにいく川の近くで
本格的なキャンプをしたり、
外食はめったにせず
お祝い事も
母と子どもたちでごちそうを作る。
恵まれた子ども時代だったと思います。

小さい頃のエピソードとしては
父の仕事について
海沿いの町に住んでいた時、
近所の軒先に干されたするめいかに
パン食い競争よろしく食いついていたとか、
(ヘッダー画像)
幼稚園のお昼時間に地震が起こった時
一人だけ何事もなかったかのように
お弁当を食べ続けていたとか(笑)

マイペースで内弁慶、

でも食い意地は張っていて

食べたい時に食べられないと怒って泣く
そんな意思の強さ?みたいなものもある
子ども時代でした。


学校という場所には
最後までなじめなかったなぁ。

今考えると
皆同じようにとか、
与えられた常識に従うとか
そういうのがダメだったんだと思いますが
当時はそれがわからなかったので
まあまあしんどかった(笑)

心を許せる友達は
ほとんどいなかったので
あまりしゃべらずにいたら
「暗い子」とレッテルを貼られ
(おとなしいって言ってほしいわ)
と思いながら
黙って本を読んでいた記憶があります。

いじめに遭ったこともあれば
登校拒否しかけたこともあるし
仮病もちょこちょこ使ってた(笑)
話の合う子がいないから
一人で行動することも多かった。

社交的なきょうだいたちに比べて
友達が少ないのが目に見えて分かる
年賀状シーズンがとても苦痛でした。

個性を尊重してくれる家族との関わり
読書や料理、手芸など
趣味の世界への没頭
これが思春期までの
わたしの世界だったなと思います。


こんな内向的な子が
どうやって医師を志すようになったのか?
それはまた次回。

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