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昭和の男性性エネルギー

夫を立て、それをサポートするのが
妻の役目だと信じて疑わない時代。
義母が自分を押し殺して尽くしたとこ
ろで、義父にはそれが当たり前だった。
できなければ暴言や暴力が飛ぶ。
優しさの上に胡座をかき、もっともっと
と求め続けて際限がない。

義母なりに我慢をしていた。
押さえ込もうとした怒りや悲しみ、不安、
恐怖、憎しみの感情が消える事も我慢
できるはずもない。
自尊心はすぐに傷つき、感情を爆発させる。
その繰り返し。

義母が感情を爆発させる毎に、
義父はもっと圧力をかける。
それは義父の弱さだ。
婿養子だった義父が、自分の尊厳、
立場を守るために、男性性としての
力と立場でねじ伏せた。

家族に同情することさえも、
自分の立場を奪われると恐れていた。
他人に自分のエゴを通す時も、
義母の口を通さして言わせる程の小心者。
立場が危うくなれば、責任は義母に
押し付けて知らん顔ができる。
見返りがあるものだけに優しくした。
義父のずるさは、明確なのに
誰も咎めようとはしない。
エゴばかりが巨大化した。

義母の心身は病んでいた。
それでも80を超えて生きたのは
家や家族を守ろうとする、義母なりの愛。
自分の観念を信じ込む頑固さと、
長年続いた義父への恐怖や怒りも
エネルギー源だった。

義姉と夫は無知な親の被害者だ。
男性優位社会のトラウマ、
頑固さ、激しい怒りの気性を
そのまま受け継いでしまった。

私は夫に同情をしていた。
穏やかな家庭を味合わせたかった。
でもそんな情は通じない。
男性性優位の家庭しか知らない夫は
妻から与えられる優しは当たり前で、
優しさや思いやりを与えることは
知らないし、できない。


自分の正しさを守りたい頑固さが、
他人と自分との間の違和感になる。
言葉で伝える能力と、相手を受け入れる
器がなければ戦いを生むだけと、
長い経験で学んだようだ。
こと勿れ主義を通す夫の選択は、
相手を馬鹿にしながら我慢すること。

次第に私は義母の憤りを、身をもって
味わうことになる。
夫婦で、我慢と怒りの繰り返しに
どっぷり漬かった。

我慢して抑えたところで、
違和感のある思いは、怒りに変わり
フツフツと湯気を立てている。
頼りない自尊心が傷つけられた瞬間に
怒りで相手(お互い)を攻撃する。

自分の意見や意思を伝える言葉を夫は
知らないから、言いがかりを吐くだけ。
私の言葉は聞きたくないと耳を塞ぎ、
話す許可を与えない。

私は夫をこじ開けようと必死だった。
自分の気持ちを言え!
感情を吐け。
鏡になった私は感情を揺さぶる。

傷ついた夫には、私が相当ひどい女に
見えるらしい。
私も同じだから、どうでも良いけどね。


私のネガティブな感情は、この家族を
見た瞬間から強く発動した。
この家の支配、怒り、感情の連鎖から
自分と子供達を守ることに必死だった。

今日、どうしようもないことで夫は
怒鳴り声をあげた。
久しぶりの感情爆発。
今までなら、のまれて対戦するのに
感情が揺れない。
それでも目から涙は出た。
身体は何かに反応をしていた。

夫が常に我慢をしているのも知っている。
だから、抑えきれなくなり時々爆発する。

男性性特有の、妻や女に対する支配を
正当化したい意地の一方では、
苦しむ母親の姿を魂では理解していた。

「妻には優しく理解のある夫でありたい」
という理想の自分。
その我慢を、押しつけがましく
優しさだと勘違いしている。
過去の私がずっとそうだったように…。
これは、私達が通る道なんだと思う。

人から愛され、優しくされることで
自分の無価値観を相殺しようとしていた。
その思考でいる間は、本当の優しさに
気付けない。

お互いの立場や感情をそれぞれに味わい
ながら学び、私達は少しずつ自分を許し、
いつかは、相手を心から許せる境地に
辿りつけると思う。

人がどう思うとか、心配とか
それどころじゃない。
まだまだ、私は自分自身の感情に
向き合うだけで手一杯だ。

家族とか、家系とか…
他の人たちの集合意識の浄化は、
上手くいけば後から付いてくること。
理由にするべきではなかったと気づいた。

自分のするべきことを淡々とやる。
夫の激昂の中で、感情が揺れなかった。
ほんの少しの成長。
それでも私には大きな前進だ。

過去の自分の姿を見せた夫に
感謝したいくらい。

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