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育ちは違えど想いは同じ

こんにちは。
バレエダンサー兼ピラティスインストラクターの藤野暢央(ふじののぶお)です♫

僕たちは夫婦でバレエダンサーとして、今も舞台で思いっきり踊っております。

最近はコロナの影響で舞台の数がめっきり減ってしまって、皆さまの前で僕たちの踊りをご披露できずに、とっても悔しくて寂しい思いでおります。

今日は僕たちの「生い立ち」について、ちょっとお話させていただきます。

僕たちは二人とも「香港バレエ団プリンシパルダンサー」の肩書きを持っております。"プリンシパルダンサー"とは、バレエ団のダンサーの階級の一番高い位で、上演されるバレエ作品の主役を任されるダンサーのことを言います。もちろんその位になるまでには新入社員の「コールド・バレエ(群舞員)」から段階的に「昇格」されていって、最終的に登り詰めることになります。

けれど「頑張れば誰でもなれる」というわけではなく、もちろんそこには「人並み外れた能力」とか、人徳、人脈、タイミング、運の良さとかも必要であって「ただ上手けりゃいい」というわけでもないです。

プリンシパルダンサーになれることそのものが「人生の中の"成功"の一つ」とも言えると思います。

それで僕たち二人のお話ですが、二人とも「香港バレエ団のプリンシパルダンサー」になったのですが、なるまでの経緯が全然違います。

二人ともほぼ同じ時期にバレエ団に入団したのですが、僕(暢央)はプリンシパルに昇格するまでに僅か4年。妻(京子)は10年近く掛かりました。

僕は監督の"超お気に入り"だったことも助けになって、入団後たった一年で主役を与えられたり、「飛び級」なんかもして、驚きのスピードでプリンシパルになりました。まわりの先輩ダンサーたちから「ひよっこが調子に乗りやがって」という強めの風を受けながら育ってきた感じです。

京子は大事な局面でケガをしてしまったり、監督の奥さんからイジメられたりして、なかなか日の目を見ることができずにいましたが、新監督が就任したときからメキメキと輝かしい功績を上げて、一気にプリンシパルに昇格されました。

だから二人とも、同じプリンシパルになったのですが、味わってきた苦労の形が全然違うので、在籍していたときはお互いの感性が上手く噛み合わずに、よくケンカしていました。

まあそれも今は昔のことで、長い時間を共に生きてきて、今はお互いの目指すとこ、感じるとこは100%同調していて、それは僕たちが「一緒に踊る姿」を見ていただければ分かると思います。

またコロナの少し前から薄々感じていて、コロナになってから益々感じることなのですが。

僕たちはこれから「僕たちの踊りたいように踊る!」ということを前に出していきたいと思っております。

いつか僕たちの踊りを皆さんにお届けできるように、これからも頑張ってまいります!

to be continued...

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