NOTEを書く私的目的
新しい年を迎えたところでもあるし、自分なりに考えているNOTEを書く意味について記録しておきたい。
なぜ、NOTEを書くか?
結論からいえば、自分の事業にとって定期的な記録、棚卸しが大切だという想いに至ったからである。
事業は、日々忙しい。やりたいこと、やるべきことは常に膨大だ。以前、ツイッターか何かでこんな画像をみたけど、ほんとにこれ。
特に新しい何かに挑戦しているときは、絶対にやらないといけないこと<やれること、という感じで、最低限やる必要があることすら、なかなか時間内にやりきることができない、というのが体感である。
![](https://assets.st-note.com/img/1641183458958-vDZd3qtUzd.jpg?width=1200)
そうやって日々過ごしていると、たしかに暗黙知(=言葉で説明できない経験、知識)は着実に溜まっていく。そして、自分の中だけで言えば、経験が増えるごとに適応力も増していくため、やれることの幅は広がっていく。
一方、形式知(=他人に伝えることが可能な形の知識)は意識して棚卸ししてまとめていかないと大して増えていかない気がしている。
暗黙知と形式知とは
暗黙知と形式知は、マイケル・ポランニーが『暗黙知の次元』で示した「知識(ナレッジ)」の認識論的な分類です。
ポランニーは、「私たちは、言葉に出来るより多くのことを知ることができる」と言い、言語などの明示的・形式的表現では伝達不可能な知を暗黙知と呼んでその存在を指摘し、言語などの明示的・形式的表現での伝達が可能な知を形式知と呼びました。
暗黙知は、特定状況に関する個人的な知識で、形式化(言語化、データ化、情報化)したり他人に伝えたりするのが難しいものです。一方、形式知は明示的なもので、論理的な伝達・表現手段によって伝達することが可能なものです。
ポランニーは、人が他人の顔を見分けることが出来るが、その見分け方を具体的には説明できない、という例で暗黙知と形式知の違いを例示しています。
事業をはじめたのが、2012年。かれこれ10年近く経営の現場で試行錯誤を積み上げていて、暗黙知だけが溜まり、形式知が思うように溜まっていかない状態に、このままではまずいなぁと感じたことが、2022年からNOTEを書き始めようと決めた理由である。
暗黙知はとても大切なものである。実際に事業を進めていく上でしか得られないし、個別の業界の実際の状況は、ググったとしても全く出てこないものばかりである。ただ、仲間に伝達することも不可能だし、自分自身でも言葉に置き換えていないことばかりで、理解度という点でも決して高くはないのだ。
暗黙知を形式知に置き換える場所としてのNOTE
そういった暗黙知を習慣的に言語化し、まとめておくことでいつでも使える形で頭に格納し、場合によっては必要な形で仲間にパスできるようにしておきたい。それがNOTEを書く私的目的である。
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