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輪廻転生、独我論、パラレルワールドあたりの考察@2021/08/02

やぁ、どうもどうも。このネタ、実はちょいちょい触れてる気もするんだけど、改めて、図入りで行きます。


独我論とは?

ここに並べた丸が人で、黒いのが自分だとした場合、世界って、これですか?

それとも、これですか?

という話。

人間平等、っていう観念からすると、前者なのでしょうけど、実際の所は、ある黒い人を中心にして開けているのが、世界なんじゃないでしょうか?

朝、目覚めた時に、あなたの家の天井が見えますよね?まさか、色々な人の家の天井の映像が怒涛のようにアナタの脳内に流れ込んできたりしないですよね?それこそが、あなたが中心になってる世界ってことです。

前も書きましたけど、白丸の消滅は黒丸の人にとって、世界内の出来事でしかないですが、黒丸の消滅は世界の消滅です。

より突き詰めると、世界には黒丸の人しかない。他はタダの現象!っていう話になるわけですが、そこまで行くと「独我論」という話になります。

輪廻転生の類型

(a)が一般的な独我論的世界観です。ただ、この図を見ると、「他の人にとっては、他の点線の所が黒い太線になるのか」、もしくは「黒い太線は全時空の中で1つしかないのか」どっちなのか?っていう観点もありますね。まぁ、純粋な独我論では、後者でしょうね。他の人なんて存在しない!自分しか居ない!っていう考え方ですから。。(怖)

(b)は、独我論的構成を取ったとしても、輪廻転生って可能じゃない?って考えた場合の図です。つまり、時間的にかぶらないように、転生してるとしたら、可能でしょう、ってことです。

(c)は、独我論を打破するためには、こういう構造だったらいいんじゃね?と考えられたものです。つまり、全ての人を同じ1つの何かが巡り巡ってる、ということです。この場合、通常の時間軸とは関係なく、行ったり来たりしてます。

(d)では、全てではないんだけど、時間軸無視で、転生してるってモデルです。

(b)独我転生観を深堀り

このケースでは、肉体は違うはずなのに、ある人と別のある人につながりがあるということを言っています。でも、物質的には絶対関係ないはずなんですよね。だって、肉体は火葬や土葬で朽ちてて無いわけで、情報をプールしてた脳が無いわけですから「私は以前あの人だった!」なんて言い出したとしても、ただの思い込み以外にありえないんですよね。

この世界は3次元空間と時間軸の合計4つの次元で構成されています。もし、それ以外の知覚不可能な次元があって、そこに、ある人と別のある人のつながりについての情報が格納されてるんだとしたら、(b)も、ありえるかもしれませんね。

あ、次元って言われるとイメージしづらいかもしれませんが、IT系の人には、カラム数(列数)って言われると、簡単ですよね。データベースでもExcelでもいいですが、縦、横、高さ、時間の4つの列以外に、もう1列分の情報を格納できれば、識別可能ってことです。

とは言え、その第5次元は、あったとしても、知覚できないので、私にもよく分かりません。

(c)遍在転生観を深堀り

一筆書きのようになってるわけなので、通常の時間軸とは別の時間軸が、これまた、第5次元として存在すれば、この形態も可能なのかもしれません。イメージとしては、レンタルビデオとかが近いんじゃないでしょうか。世界にはある人物Xさんだけが存在して、Xさんが『ビデオA』を再生すると、Aさんの人生が始まって、Xさんはそれに憑依することができるのです。こうやって1本ずつ見ていってる、と考えたら、AさんやBさんの時間軸が存在しつつ、それとは別に、Xさんの時間軸がある、っていうのも理解しやすいんじゃないでしょうか?

そもそも1人なら時間軸は一つしかない?

また、全然別な話に飛びますけど、たとえば、(a)の独我論的世界観の中で、この黒い太線の人は本当に1人しか居ないんでしょうか?いや、他の人も黒い太線でありうる、ということを言ってるんじゃないんです。たとえば、私が黒い太線の人であったとして、1分後に紅茶を飲むかコーヒーを飲むか選ぶとします。その瞬間に世界が2つに分岐して、紅茶を飲んだ時間軸と、コーヒーを飲んだ時間軸に分岐してるんじゃないかな?とかとか。。そんなことを考えることもあります。

これを考え始めたのは、『らせんの宿』っていう、フリーゲームの実況動画を見てからです。ゲームって、セーブデータってあるじゃないですか。たとえば、地点 T でいったんセーブしておいて、地点 U に来た時点で自分のキャラクターが大けがをして、お金をたくさん失ってしまって、つらい状況になりました。そこで、地点 T のセーブデータから再開して、地点 U ´(ダッシュ)まで来て、U ´ では、怪我もしてないし、お金もいっぱいあるとします。そんな感じで、失敗してない道だけを進んでゲームをやっていった時に、最後に「やったー、ゲームクリアー!」ってなるんだけど、成功した地点以外の地点が無数にあるわけじゃないですか。

ゲームなんで、失敗した地点はそのままほっといたら、何にも進みません。でも、そうやって枝分かれしていくっていうのが、もし、仮に現実だったとしたら、結構、怖くないですか?たとえば「昨日の夕方、ダンプカーにぶつかりそうになった!危なかった~!」とか言ってたとします。でも、実は、ダンプカーがやってくる直前に(というか常時0.001秒ごとに)世界が分岐していて、別の世界では、全身複雑骨折で瀕死状態の自分がいるのかもしれません。はたまた、「おれ今月、ビットコインの爆上げでさ~、マジ、超儲かりまくってんの!」とか言ってる前月に時間軸が分岐していて、別の時間軸では、爆損して、その穴埋めにサラ金とかで金借りまくって、人生終了目前の自分が居たりとか。。

そうやって、自分の人生って一本道で来たようで、実は無数に枝分かれたした大勢の自分が居る中の1人に過ぎないのかもしれないな、とかとか。。そう考えたら、成功も失敗も無くて、今自分が見ているのが、どの時間軸なのか?ってだけの話。。自分が見なくても、「自分 ´」 が見ているわけで、「自分 ´」も自分と同じなんだと考えたら、ラクな時間軸は「自分 ´」に行かせて「この苦難の時間軸は私が引き受ける!」なんていうマインドで行くのも可能なのかもしれませんね。

そう考えたら、仮に(a)の独我論だったとしても、広大な世界観になりますね。この場合も、時間軸の分岐を表現するために、次元がもう1つ必要になりますけどね。

VirtualBox、VMWare、Vagrant、Docker

ここで、ITの話に少し戻ってみますが、時間軸の分岐って意味では、ゲームのセーブデータ以外にも、この手のIT系の仕事で出て来る仮想化ツールをいじってる時も、ふと考えることはありますね。

おまけ

今日の話は、若干『四畳半神話大系』とかも、かすってるようなかすってないような。。どのへんが?っていうのを説明すると、ネタバレになるので略ですが。。

おわりに

いや~、このへんの、哲学と宗教の間みたいなジャンルを考えるの、面白いですね~。金と時間があったら、このへん考えたいです。たぶん、アタマがおかしくなりそうですけど(笑)。

ちなみに、図の部分の元ネタはこちらですよ~。

https://ja.wikipedia.org/wiki/なぜ私は私なのか

では、また~♪

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