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サイレント・リトリートの体験から

皆さん、こんにちは。菩提樹の広場です。
先週、4泊5日のサイレント・リトリートに参加をしてきました。
そうだ、このノートの初投稿も、サイレント・リトリートのことでした。
早いもので、1年前になるのですね。

このサイレント・リトリート、MBSR講師を育てている先生方、MBSR講師の卵、講師になるトレーニング中の方が、集合し、沈黙の中でともに生活をしながら、瞑想を深める練習をしていく時間でした。

昨年は、コロナ禍ということで、オンラインでつながって開催されました。
完全に一人になるために、ホテルに泊まりこみ、自分と向き合う時間でした。

今年は、待ちに待った対面でのリトリート。
その違いを中心に感じたことを書いています。

今回の大きな違い。「周りに人がいる」

当たり前なんです。対面なので。
しかし、この当たり前が与える影響の大きさ。

「人って社会的な生き物なんだ」

改めて感じ、その中で自分がとっていく自分のパターンもよく見えました。

このリトリート。主に、座る瞑想と歩く瞑想を交互に行っていきます。
歩く瞑想は、畳一枚を往復したり、好きなように歩いたり、二列になって同じ方向に歩いたり、屋外を歩いたり、様々な歩く瞑想を行いました。

安全な場にいていい

その中で起こった私のパターン。
まずは、好きなように、ゆっくり歩く。
人が、あらゆる方向からやってくる感覚に、雑踏の中で迷子になったような不安が襲ってくる。誰も立ち止まってくれない、助けてくれない感覚。たまらず、集団から少し離れ、人の影響を受けないところに避難して練習。

「逃げ出した」そんな感覚。人が苦手なのか。人の行きかうスピードについていけないのか、と少し落ち込む。でも、次の日の先生とのインタビューで「安全な場所にいったのですね」と。
無理に合わせなくていい、というような優しい言葉。

挑戦することも大切


次。「逃げ出した」感覚のままが嫌で、「あそこまでいく」とゴールを決めた。ゴールと決めたところを越えたときの体の感覚。
急にふわーと軽くなる。
「安全」と「挑戦」のバランスの大切さも感じる。

周囲の方への信頼

目をつぶって後ろ向きに歩いてみる。その時のテーマは、自由に歩いていいもの。
周囲を感じながら、お互い自由に歩いている。

目をつぶって歩く。しかし、周囲と常に適度な距離感を感じる。周囲の方もお互いを感じ、ぶつからないように歩いてくれる。

周囲をしっかり感じる。そして周囲の人も自分を感じてくれている。そこに相互の信頼を感じた。

美しいリズムがあった

二列になって同じ方向に歩く瞑想。
前後の人を感じ、その感覚を保ちつつただ静かに歩く時間。
そこにいる数十人から解き放されるエネルギーが、一つの大きな円になり、その円を動かし続ける。

そのエネルギーにのって人が美しい法則性のある歩みを続けていく。

このお互いを大切にする者同士が集まった、この集団に所属している美しい感覚に圧倒された。


そんな色々な経験をして、戻ってきた。
周囲は何も変わっていない。
でも、自分からみた世界が、少し変わったようにも感じる。
何かでつながって生きている感じとでも言おうか。

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