見出し画像

なぜ働いているとアニメが見れなくなるのか

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆)を読んだ。

著者の三宅氏同様、私も本が好きで学生時代はそれなりに読書をしていたが、働き始めてからこの数年間はほとんど読んでいない。ここ数年で印象に残っているのは、『舞台』(西加奈子)くらいだ。他にも何冊か読んだとは思うが、多くても10冊に満たないだろう。本屋に行ってパラパラとページをめくることはあっても、なかなか腰を据えて一冊の本を読んでいない。特に、小説にはほとんど触れてこなかった。

そんな私も、読書はせずともアニメやドラマを見ることはある。2021年は『ODD TAXI』、2022年は『Stranger Things』、2023年は『推しの子』にハマっていた。
ここに挙げたアニメ・ドラマには一つの共通点がある。それは、他の誰かからおすすめされて見た、ということだ。


『ゆとたわ』と『ODD TAXI』

2021年、私は『ゆとりっ娘たちのたわごと』(略してゆとたわ)というポッドキャストをよく聞いていた。
平成生まれ、ゆとり世代の女性2人が話すこのポッドキャストでは、彼女達がその時々でハマったアニメやドラマ、映画がよく紹介される。ちなみに『なぜ働いていると〜』の中で登場する映画『花束みたいな恋をした』も当時取り上げられていた。

そんな彼女たちが2021年に激オシしていたアニメが『ODD TAXI』である。
現代の東京を舞台に、ある日女子高校生が失踪したというニュースから始まるミステリーアニメだが、登場キャラクターはすべて動物(主人公はセイウチのタクシー運転手)、とユーモラスな設定だ。
ゆとたわの放送を通じてこのアニメを知った私は、Amazon Primeで視聴して、あまりの面白さに全13話を徹夜で一気見してしまった。職場の同僚や家族にも勧めて回り、自分自身でも3周したほどである。

働いていると本が読めなかった私でも、アニメなら見ることができた。
単純に考えると、本を読むよりもアニメを見る方が受け身だし、頭を使わなくてよくて楽だから、と言えるかもしれない。だが、三宅氏の本に沿って考えると、問題の本質は少し違うところにある。

読書のノイズ

読書して得る知識にはノイズ――偶然性が含まれる。教養と呼ばれる古典的な知識や、小説のようなフィクションには、読者が予想していなかった展開や知識が登場する。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆

三宅氏はインターネットで何か情報を得る場合と比較したとき、読書には「ノイズ」が多い、と指摘する。つまり、読書では知りたい情報そのものを得られるわけではなく、その周辺にある、求めていなかった知識(ノイズ)がどうしても入ってきてしまう、ということだ。

そして私は、この「ノイズ」は読書だけでなく、アニメやドラマにも含まれるものだと考える。

アニメよりYouTube

私は仕事で忙しくて読書をしていなくても、アニメならたくさん見る、というわけではない。例えば2021年、『ODD TAXI』以外にアニメを見た記憶はない。仮にアニメ視聴が読書よりも頭を使わない趣味だったとしても(私はそうは思わないが)、私は別に色んなアニメを次々と楽しんでいるわけではないのだ。仕事終わりや休日は、アニメを見るより、ソファに寝そべってスマホでYouTubeを眺める時間の方が圧倒的に長い。

私がアニメよりもYouTubeに走りがちな要因の一つとして、三宅氏が語る「ノイズ」があるのではないかと思う。
何か新しいアニメを見るとき、当然だが、私達はその作品の内容を事前にすべて知ることはできない。知るためには、自分の時間をいくらか割いて視聴するしかない。例えば1クールのアニメであれば、13話×30分弱で5-6時間程度は必要になるだろう。
何か新しい作品を見るならば、もちろん、面白いもの、土日の時間を割いて見る価値があるものを見たいと考えるはずだ。しかし、せっかく最後まで見てもあんまり面白くなかった、となるアニメも少なくはない。そんなとき、そのアニメは私達が求めていない情報になってしまう。これは、まさしく三宅氏が語る「ノイズ」と同じではないだろうか。つまらないアニメ、最後まで見たけど時間を無駄にしたと感じるアニメを、私達はノイズと感じてしまう。

その意味で、私が働きながらも見てきたアニメは、限りなくノイズが排除されたものだった。
『ODD TAXI』は私のお気に入りのポッドキャストで激賞されていて、ゆとたわでこれだけべた褒めされているならばどうせ面白いに決まっている、と見る前から私は予想していた。もちろん期待は裏切られるかもしれないが、限りなくその可能性は低いと思われた。そして実際、私は期待通り(もしくはそれ以上に)面白いアニメを楽しむことができた。

なぜ働いていると〇〇ができなくなるのか

市場という波を乗りこなすのに、ノイズは邪魔になる。アンコントローラブルなノイズなんて、働いている人にとっては、邪魔でしかない。……だとすれば、読書は今後ノイズとされていくしかないのだろうか?

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆

三宅氏はこの本の中で、仕事に全身全霊を傾けると、私達はノイズを受け入れる余裕を失ってしまう、と主張している。結果として、ノイズに溢れた本を私達は読めなくなってしまう。
同じことがアニメにも言える。誰かにおすすめされて、確実に面白いと予想されるアニメを見ることはできたとしても、全く知らないアニメをちょっと試しに見てみよう、はなかなかできなくなってしまう。そういう意味では、働いているとアニメが見られなくなる

YouTubeでの動画視聴は、全13話のアニメとはわけが違う。10分や15分の短い動画であれば、全部見てつまらなかったとしても、それ程のロスには感じない。つまらないと感じたらすぐ次の動画に行くことだってできる。
さらに、YouTubeではアルゴリズムによって、私達がきっと面白いと感じる動画が次々に表示される。そこでは、「ノイズ」は極限まで排除されている。

三宅氏は、この本で「皆さんもっと本を読みましょう」と読書を称揚しているわけではない。働く私達が、読書に限らず、アニメやドラマ、映画なども含めた文化的行為をなぜ楽しめなくなってしまうのか、という問題提起をしている。

なぜ働いていると〇〇ができなくなるのか。

これは決して読書に限った話ではない。現代の日本で働く私達にとって、誰もが一度考えてみるべきテーマなのではないだろうか。


X(旧Twitter)もフォローお願いします! → https://x.com/boci_bocci


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?