2㍑98円の醤油のはなし

普段絶対に買わない醤油を買った。
醤油を買わないのではなく、普段購入する醤油は500ml程度のもの。
金額もさることながら、量が多い。
スーパーで調味料の棚を物色していると1Lを超えるサイズのものは「こんなにあっても使わないし、邪魔だなぁ」と思っていたからだ。
しかし。
某メーカーの醤油2Lが、おひとりさま一点限り98円で売っていたのだ。

「えっ良いんですか?こんなに入っているのに?」とおどろきつつ、すぐさま買い物かごに入れた。
でも新鮮さが・・・と戸惑うような美食家ではないし、邪魔<安さに負けたのだ。

このnoteは久しぶりのブログと言える。
(“ブログ”なのか?)
アメーバブログが流行っていた頃、特筆すべき人間でもないのにブログを書いていた。
2L98円の醤油が、私に久々に文字を世に出させたのだ。
ただし私は職業物書きではないし、日本に生きるただのいち人間だ。
誰が読むのかも分からない。誰も読まないかも知れない。
(こう考えると「私なんて文才ないし・・・」と不要な謙遜も卑下もしなくていい。)
しかし、2L98円の醤油が私にブログを書かせる事件を起こした。
醤油は不動の物質なので、正しくは、私が事件を起こした。

ところで、「職業」と定義されるものは「生計を維持するために、人が日常従事する仕事」らしい。
「評論家」は自称し始めた時から評論家、という話を聞いたことがある。
自称で良いなら、誰でもなれる。
ただし、生計を得ないと職業とは言えないのだ。
私も何かの評論家を名乗ろうか。名刺なんか作ったりして。
自称で肩書がひとつ出来上がるなんて、アイデンティティの確立は案外簡単なんだな。

・・・醤油事件に話を戻そう。
2Lは重かった。でも帰り道、気分は軽かった。
「今日はラッキーな日だな。私はやっぱり運が良いんだ。」
2Lの醤油が98円で買えたことでこんなに心が弾むなんて。
しかし、帰宅直後、玄関先で悲劇が起こる。

醤油2L(=2kg)プラスその他諸々の食料で、買い物袋は限界だったのだ。
玄関扉を開け、足を玄関内に踏み入れた瞬間、買い物袋の持ち手はぶちぶちとちぎれ、中身たちはごんごろんと音を立てて地面に落ちた。
その瞬間、これが刹那と呼べる時間の過ぎ方だ、と思った。
帰り道、私のうきうきとした気持ちに反して、買い物袋は必死に重量に耐え続け、何とかぎりぎり、家まで持ちこたえたのだ。
「やっと家に着いたーーー」
その安堵が買い物袋に最後の瞬間(とき)を与えてしまったのかもしれない。
そして、件の醤油は落下の衝撃から四方八方に飛び散り、本体は力なく玄関タイルに横たわり、黒い液体をどくどくと脈々と流し出していた。
慌てて抱き起し、液体の流出を止める。
玄関に出しっぱなしにしていた靴にも茶色い斑点が染みていく。


長々と書いたが、要するに購入してすぐの醤油を玄関にぶちまけ、量が量だけに拭くためのバスタオルを1枚だめにし、靴もシミだらけになり、特価98円の代償はあまりにも大きかった、という話。
醤油は残ったが、2Lでは無いし、結果として2L98円ではなくなった。


「何かを得るためにはそれと同等の代価が必要になる。」と、かのアルフォンス・エルリック氏は言っていた。
この言葉を噛みしめる。
・・・確かに、物理的には失ったものは大きい。とても等価交換とは思えない。
しかし、私はうきうきとしたではないか。自分の人生が、幸運に恵まれていると実感した。
あの時間のことを考えると、得たものは大きかったのかも知れないーーー。


こんなことを1,400文字超えで書いているけど、私は明日転職の面接がある。
更に、適性検査を2社分やっていない。
現実世界に戻ります。ありがとうございました。






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