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数年間「恋人未満」だった人に告白されたが、付き合わなかった。「好き」とは何か。

数年間恋人未満であった人に告白されたが、付き合いたいと思えなかった。
彼は何を思っていたのだろう。「好き」とは一体何だろう。

7歳年上の彼(A氏)とは職場が同じで、趣味が似ていた。一緒に登山に行ったり、外食をすることはあったが、それ以上の事は無かった。適度に気が合い、良い関係であった。例えば早朝の登山などで、調子が乗らず話したくない時は、黙っていても気まずくならず、居心地が良かった。その関係が2年ほど続いた。

ある時、A氏の家で会うようになった。食事をしながら、仕事や人間関係の話、趣味の話をして、A氏が好きな音楽を聴きながら、特に目的もなく同じ空間で過ごした。その関係が半年ほど続いた。

ある日、A氏が体の関係を求めたため、私は拒否した。会うのをやめて連絡を避けていたが、A氏の方から「話がしたい」と言われた。
A氏は「会わなくなって、好きだと思った。付き合って欲しい。」と言った。私は「好きだ」と言われて、素直に嬉しかった。
私たちは付き合うことになった。A氏は「付き合えて嬉しい。」と言った。

その日のうちに、彼は体の関係を求めた。そして、「付き合って初日にセックスするのも良くないから、セックスはしない。今日は、俺の体を満足させてほしい。」と要求した。私は驚いた。
私は「付き合うことになった直後に、自分の肉欲を満たすためだけの要求をされて、冷めた。」と伝えて、私たちは別れることになった。

別れた後も、共通の趣味があり気の合う関係を大事にしたいため、これからも友人関係を続けることで合意した。
一緒に登山をする約束をしていたが、私に新しく彼氏ができたため、約束を断った。私は、すぐに他の男性と付き合ったことについて罪悪感があった。(新しく付き合った彼氏とは、別の理由ですぐに別れてしまった。)

そのうち、A氏と一緒に出掛けて楽しかったことを思い出した。雑談をしながら同じ空間で過ごす居心地の良さが恋しくなった。約半年後、私はA氏に連絡し、「また一緒に出掛けたい。」と伝えた。
私たちは会うことになり、すぐに体の関係を持った。特に断る理由が無かったため、私は拒まなかった。

それからは、双方が休日の前日、夜に会って一緒に食事をして、セックスをして帰宅する習慣ができた。これが「セックスフレンド」というものか、と認識するようになった。この関係は半年ほど続いた。

私は性行為が好きだとA氏に伝えていたし、A氏も非常に積極的であった。
以前、彼氏とのセックスレスで悩んだ時期があったため、むしろ積極的すぎるA氏の存在は、私にとって有難かった。私から「セックスしたい」とはっきり伝えても、それを受け入れてくれる。お互いが意気投合した日は、相性が最高に良いと感じ、大きな満足感を得ることもあった。

一方で、私は、人間として尊重されていないと感じることがあった。

ごく稀に、昼間に一緒に出かけることもあった。カーシェアで一緒に出掛けた際に、私が運転をした。私は月に数回程度のドライバーで運転が上手ではなく、ペーパードライバーのA氏は、私の運転に対して不安が強いようであった。ドライブ中、狭い道などで、A氏は「あー怖い怖い!本当に大丈夫なの?怖いよー!早くハンドル切ってよ。後ろが詰まっちゃう!」と終始言っていた。

私は、不安にさせるような運転をしたことをA氏に謝ったが、私自身がA氏に煽られるような気分になり、辛かったとも伝えた。
そんなに怖いのなら、煽るのではなく、降りて誘導するなり一緒に乗り越えてくれたらいいのに。
この出来事から、今後もし危機的状況に直面した時、A氏は私を置いて自分だけ逃げるはずだと推測した。

A氏の誕生日に私からプレゼントをしたら、後日、私の誕生日を祝ってくれた。誕生日プレゼントを選ぶために一緒にデートをして、その日は食事をご馳走してくれたが、「嬉しい?嬉しいに決まってるよね。いいよなあ、こんなにしてもらって。俺だったら超嬉しいけどねー!」と、A氏は繰り返し私に言った。
最初は、私が喜ぶ様子を見たいのであろうと肯定的に捉えていたが、何度も何度も同じ事を言われるため、彼の真意がわからなかった。

性行為自体は基本的に断らなかったが、彼の欲求だけが前面に出ており行為が乱暴に感じる時は、私は怒りを覚えた。
A氏の「自分の体を満足させて欲しい」という要求に対して、応えるのが辛い時もあった。生理中などの体調が優れない時にもそのような要求があった。

異性として必要とされること自体は嬉しいし、体調が良い日は私も欲求に従って動くため問題ない。しかし、体調が良くない日に会ったとしても、私という存在の意義は彼にとって無いのだと感じた。
そのため、彼から会おうと言われたとしても、そもそも生理中などは会うのをやめた。

会って食事をして、愛情表現もなく当たり前のようにセックスをする関係に慣れてきて、互いの行為の原動力が欲求だけであることを客観視し始めた。私は、付き合っていないのにセックスする事を虚しく感じて、それに関して何度か話し合った。

私は「今すぐ彼氏が欲しいとは思わないけれど、お互い好きで大事に思っている対象としか、セックスしたいと思わない。」と言った。
A氏は「あなたを好きだとは思うけど、一旦別れた後にセックスする関係になって、改めてもう一度付き合いたいとか、そういう考えにはならないし、彼女が欲しいとも今は思わない。」と言っていた。
毎回、「お互いに好きだと思っていればいいよね」という着地点に行きついた。

常に精神的に不安定な私は、どうしようもなく苦しい時にはこの関係に頼って気持ちを保っている面があった。お互いに求め合っている時は非常に居心地が良く、この関係を終わらせることは考えもしなかった。

A氏と関係を持つ期間が長くなり、徐々にA氏の事を「好きかも」と思う瞬間も出てきた。例えば、以前と比べて話を聴いてくれるようになったと感じた時、ご飯を作ってくれた時、「こうしてくれたら嬉しい」と伝えたことを憶えており行動に移してくれた時など、「人として尊重されているかも」と感じた時に、「好きかも」と思うことがあった。

「セックスフレンド」という関係上、優しさなど多くを期待する必要は無いし、それを求める権利も無い。
だからこそ、僅かな優しさに気付いた時、純粋に嬉しいと思うようになった。
たった一日だったが、手を繋いで恋人のようにデートした日もあった。

お互い「好き」という言葉と肉体関係で満足しているなら、それでいい。納得できない点があっても、満足できる部分があるから、全体としては問題ない。
私自身、他に好きな人が欲しいと思っていたし、気になる人がいれば、他の異性とデートをしていた。

ある日、セックスの直後、ベッドでのスキンシップの際中に、「こんなタイミングで言うのもあれだけど、付き合って欲しい。」と言われた。

付き合ってほしい?
何故そう思うのか、A氏の気持ちが全く理解できなかった。
私は「付き合いたいとは思えない。」と答えた。

その後もお互いの合意のもと、関係を数回続けたが、A氏の行為は乱暴になった。

乱暴なのは嫌だと伝えると、A氏は「付き合いたいと伝えたが断られて、セックスだけする関係が虚しく感じて、俺って何なのっていう気持ちになった。モヤモヤしていたんだと思う。」と返答した。
そう言われても、付き合いたいと思えなかった。
私の認知が歪んでいるのだろうか、彼の言い分は乱暴な行為をする言い訳に聞こえた。

それから私たちは、どちらからともなく、会わなくなった。

約2か月後にA氏から「話がしたい」と連絡があった。
A氏は「時間が空いて、やっぱり会いたいと思った。でも、体の関係は終わりにしたほうがいいと思った。自分は好きなのに、相手は好きじゃなくて、ただセックスする関係は虚しい。」と言った。

私は、「付き合おう」とA氏に言われても応じることができなかったこと、これまで他の異性ともデートをしながらも、自分が満足することを優先にしてA氏と長期間にわたって関係を持っていたことに関して、罪悪感に苛まれた。A氏を振り回していたと自覚した。
関係性について、今後は一切関わらないか、体の関係が無かった頃に戻るかの二択のどちらを選ぶか話し合った。
私たちは職場の同僚であるため、できれば後者の関係に戻りたいという共通認識をした。

私はこの期に及んでも、A氏が私に「付き合って欲しい」と思う事実がどうしても納得できなかった。
人間として尊重されていないのに、「付き合って欲しい」と思われるのは、どういう事なのだろうか。

A氏は現在の心境を話してくれた。
「ずっと体の関係を続けているほうが都合が良いのに、この関係をはっきりさせたいと思ったのは、セックスだけの関係は嫌だと思ったから。だから、好きな気持ちは本当。好きな気持ちがあって、セックスもしたいし、会いたいと思う。
あなたのどこが好きとか、そこまでは言葉にできない。

あなたは性欲が強くて、特定の相手と付き合えないのは知っている。たぶん今後もすぐに他の男をみつけてセックスだけの関係を続けるんだろうなと思う。大丈夫かなと心配になったよ。

あなたを嫌いとかではなくて、今も会うと触れたいと思うし絶対にセックスしたくなるから、それを我慢して会うのはしんどい。それなら会わない方がいいのかなと思う。一度体の関係になったら、もとの関係に戻るのは自分には無理だと思う。」と言った。

この話をきいて、A氏は異性として私を必要としていて、「好き」と思っていたことも事実であるとわかった。
しかし、性的な欲求を差し引いても、私は彼にとって必要な存在なのだろうか。それとも、セックスが無かったとしたら、私は不要な存在なのだろうか。
それは、彼の言葉をきいてもわからなかった。

逆に、私自身がA氏を大事に想っていたかというと、そうではないという自覚がある。

私はA氏から異性として「好き」と認識されて嬉しく、セックスを求められて気分が高揚し、関係を持つことで一定の満足感を得ていた。
私自身が満たされたいが為に、A氏に「会いたい」と言っていた。

A氏を人として大事に思うよりも、私自身の気持ちが満たされることを優先にしていた。
自分が満たされた時は、A氏の事を「好きかも」と考え、「お互い好きなのだから問題ない」と自分にとって都合の良い解釈をした。
そのくせA氏に対しては、「私を大事にして欲しい」と求める気持ちがどこかにあった。
今でさえ、「もっと大事にしてくれたら、付き合いたいと思えたのに。」と感じてしまう。

「好き」という言葉と「セックス」という行為について、慎重に考える必要がある。
セックスするために、「好き」と言うことは簡単である。
「好き」という発言自体は、1秒あればできる。
言葉の意味は、いくら「どう思っているか」を言葉で聞いたとしても理解できない。
言葉に伴う行動があって初めて、言葉の意味を理解できるようになる。

「セックスが無ければ、彼にとって私の価値はないのか?」
悲しい考えであるが、これは常に問うべき事である。
これを問いながら、言葉だけでなく行動をみて関係を築いていく必要がある。

最も大事なことは、私自身がその関係に何を求めているのかを明らかにすることである。
相手にどう思われているかが最終的な問題ではない。私自身がどうしたいのかを考えることが大切だ。

「私は彼との関係で、自分の気持ちを満たしたいだけではないか?私は彼のことを人として大事に思っているのか?」
できれば向き合いたくない問題であるが、これを常に自問自答する必要がある。

数年間恋人未満であった人に告白されたが、付き合わなかった。
「好き」とは何か。それは言葉の表面をなぞっていてもわからない。

自分と相手の「言葉」の裏にある本当の思いを知ることが、互いを尊重できる関係を築くためには大切であることを学んだ。

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