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私の仕事における「日常」とは「非日常」であることを忘れてはいけない。

日曜日から娘の熱が下がらない。

何の症状もなく、急な発熱と頭痛。季節の変わり目の体調不良かと思いきや40度の高熱と頭痛のため、前回の季節外れのインフルエンザも疑い、翌日、急病診療所へ1回目の受診をした。
インフルエンザ検査はマイナス、解熱剤処方にて様子を見ることになった。

3日経っても熱が下がる様子はなく、色々な可能性を予想しながらも、小さい頃にお世話になっていた、かかりつけ医へ2回目の受診をした。クラスでインフルエンザが出ていたこともあり、再検査をお願いするもマイナス。これと言った症状が出ていない為、治療の決め手がなく、精査目的で血液検査をし、少し強めの鎮痛解熱剤処方にて様子を見、2日後に再受診となった。

文章にしてしまえば、「受診し、インフルエンザはマイナスで、解熱剤の処方をされて経過観察の指示が出た」で終わってしまうのだが、この2つの受診は決定的な違いがあった。

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1回目の受診。医師の言葉。
「もう、インフルエンザは終息してるし、今は時期じゃないんだよね。熱は季節の変わり目によくある事だから。検査しても出ないと思うけど…。予防接種だってしたんでしょう?
ご飯も食べれなくったって大丈夫。身体がいらないといているんだから、暖かい飲み物飲んでじっとしていたら3日ぐらいで治るよ。
解熱剤?熱を下げたら治らないよ。お母さんたちはそうやってすぐ何とかしたがるんだよね。」
こちらの話は聞かず、一方的な価値観と理屈の押しつけだった。
しかも、長々と。
私は「じゃあ、あなた。食べずに、解熱剤も使わずに3日間じっと過ごしてみなさいよ。」という苦くて硬いコトバの塊を飲み込んだ。

2回目の受診。別の医師の言葉。
問診票を見ながら「ずっと熱が下がらないのね。これはつらいわね。何か症状はありますか?
1週間に2回もインフルエンザの検査をしてしまってごめんなさいね。採血もするけど大丈夫かな。横になる?
今、発熱と頭痛以外に症状が無いので、これと言った対処と治療ができないけれど、精査の為に採血をさせてください。頭痛は少し強めの鎮痛解熱剤を処方しましょうか。」
丁寧に話を聴いて下さり、娘にも声をかけ、そして現時点で予想できる可能性について説明をしてくださった。
そして診察室をあとにしようとした時、
「あまりお役に立てなくて、ごめんなさいね。お大事に」の一言。

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受けた検査と薬の処方。行為は同じなのだ。
だけど、この二人の医師の認識は異なる。

「病気を診察することが日常的ないつものよくある事」という認識。

「病気になる・家族が病気であるという事は、本人や家族にとっては日常の中でイレギュラーな非日常的な事」という認識。

認識の違いでこんなにも違う。

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普通はここで終わるのだが、どうしても自分の訪問看護という仕事に重ねてしまう。

自宅で療養される方のお宅に伺う事に、慣れてしまってはいないか。
よくある事としてすましてはいないか。
私たちは日常の仕事として、行わなければいけないけれど、その出来事はご本人やご家族にとって「非日常な出来事であること」を忘れてはいないか。

兄をなくした時、決心したのに。

(↑気になる方はこちらを読んでください→「家族が病気になるということ」)

今夜はこのくらいにしておきます。

娘の様子をのぞいてから、私もそろそろ休みます。

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