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鹿と「だいぶつ」

「それしかない」というわけではありません。
それでもその存在感はただごとではありません。
不思議な日常風景になれてしまっている奈良の人は、もうそれが不思議であることを忘れてしまっています。「あたりまえ」が本当は不思議な奇跡であることを。

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山にいる野生の鹿は、決してひとに近づいてきません。

糞虫のおかげで、奈良はなんとか「きれい」をたもっています(笑)
なんだか、奇跡のようなお話ですが、ぼくらが生きているのも奇跡だと感じることがあります。

「どうして生きているのだろう。」
これ本当に不思議です。

「どうして奈良にきたのだろう?」
これは、ぼく一番の不思議。

奇跡のご縁があったからともいえますし、偶然自然にふらふらと引き寄せられたともいえそうです。もちろん自分の意志もあきらかにあるのですが、その「意志」をどうして発動したのか、自分でも忘れてしまいました。

ひとは遠い昔の記憶をうまく忘れるようにできているのでしょうか?
鹿も遠い昔、先祖が山にいたころのことを忘れて公園で草をはむのでしょうか? 聞いてみたいものです(笑)

「だいぶったん」は教えてくださるでしょうか?






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