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流行りの作品が見れない病

日本はコンテンツ大国。日本のアニメやマンガは世界中で大人気ですよね。

私もアニメはあまり見ないのですが、マンガは大好きです。
マンガ大好き、大好きなんですが、今世間のマンガ好きたちが熱い視線を向ける「スパイファミリー」「東京リベンジャーズ」「葬送のフリーレン」「チェンソーマン」といった作品、どれも見たことがないんですよ。
(チェンソーマンは友達の家でぱらぱらページをめくりました)

「そんなんでマンガ大好きとか言ってんじゃねぇぞ!」と怒られてしまうかもしれませんが、私が上で挙げた作品を見ていないのはやむを得ない理由があるのです。

それは私が「流行りの作品が見れない病」に罹っているからです。
この病気は、世間で話題の人気作品を見るどころか避けるようになってしまう恐ろしい病気なのです。

流行りの作品と価値観が合わなかったときのダメージ

流行りの作品というのは、当たり前ですが世間で受け入れられているから流行っているんですよね。
「時代の価値観に合っていた」「広告戦略の巧みさ」などがうまくハマると、その作品は流行というわけです。(もちろん、作品の実力が大きいですが!)

じゃあ、その「世間で受け入れられている作品」に「自分の価値観や大切にしているもの」と異なるメッセージ・描写が含まていたら?
ここが「流行りの作品が見れない病」の発病ポイントです。

私は、もし流行りの作品と価値観が異なっていた場合
「こういう考え方が世間では普通に受け入れられてるのか・・・」
「えっ、この描写キツいってみんな思わんの・・・?」みたいに思ってしまいます。

自分に自信がある人(自己肯定感が高い人)ならそんな場合でも「この作品自分とは合わんな」で、その作品を自分から切り離して終わりではないでしょうか。
少なくとも「引きずって今後は流行りの作品は見ない」とはならなそうです。

勝手なイメージですが「自分は自分」という根っこの部分がしっかりしている人は、流行っている作品と自分の価値観が異なるぐらいでは動揺しない気がします。

しかし、私は自分に自信がない(自己肯定感が低い)ので「自分は自分」と思えるほど根っこが強くありません。
「世間で自分の価値観と異なる作品がウケている」ぐらいのことで「自分はこの世の中で生きていくんだ」ということへの信頼がぐらついてしまうのです。

これが、私が患っている「流行りの作品が見れない病」の正体です。

だから私は古い作品や洋画ばかり見る

「流行りの作品が見れないなら何を見るのか」と言えば、私は「古い作品や洋画」ばっかり見ています。

「自分がいま生きている時代の、いま生きている国」、つまり「令和の日本」で流行りの作品が自分に合わなかったら「流行りの作品が見れない病」が悪化します。
しかし「自分がいま生きていない時代」や「いま暮らしていない国」で人気(人気だった)作品が価値観に合わなくても、ダメージは少ないです。

例えば、米国でウケたマーティン・スコセッシ監督の作品で「こういう描写は嫌だなー」っていうのが有っても、私はスコセッシ作品を見続けます。
それは、スコセッシ監督のメインの活躍フィールドが日本国外だからです。

私はちば てつや先生の作品が好きなのですが、昔の先生の人気作品にはたまに「こういう言い方はひどくない?」と感じるセリフがあります。でも、ちば先生は大好きです。
それは、その作品が流行ったのが昔だからです。

「気に食わん作品がウケてるみたいだけど、まぁいっか」という、自己肯定感の高い人ができていそうな「健康的な作品との距離の取り方」が、時代や生活圏が違って初めて、私にはできるのです。

「海外の作品をよく見る」と言えばちょっとグローバルな感じがしますが、「価値観に合わない作品が海外でウケてたとしても、日本に住んでいる自分には関係ないから気にせず乗り込める」と密かに思っているわけで、その点でいうと私は非グローバルな人間かもしれません。

逃すものもあれば得るものもあり

そんなこんなが、いま熱い流行りの作品を見れていない理由です。
結構な数の名作を見逃していると思います。

「損な性格・損な考え方」なような気もしますが、最近は少しこの病気に対する考え方が変わってきまして。

もし自分が、流行りの国内の作品にぐいぐい乗り込めるタイプなら、限りある時間を古い作品(特に洋画)を見るために割かなかったのでは?と思うのです。
映画は好きですが「可処分時間の大半を映画鑑賞に使う」というほどではないですから。

そうすると、私はヴィム・ヴェンダース監督作も、コッポラ監督作もキューブリック監督作も知らずに生きていくことになったのかもしれません。

マンガだって無料で読めるわけではありませんから、もしも私が流行りの作品ばかりにお金を出していたなら、ちば てつや先生も水木 しげる先生も原 哲夫先生の作品も、一冊も手に取って買おうとは思わなかったかもしれません。

そういう風にちょっと見方を変えて「流行りの作品が見れない病」を考えてみて「この病気、案外悪くないかも」という風に思い始めています。

まぁ「昔の作品を見る余裕がない」と「昔の作品しか見れない」では結構違いがある気もしますが、それでも得るものがあったのも確かのことです。

なので、これからは「流行りの作品を見れない病」ではなく「古い海外作品を選びがち体質」として前向きに捉えるようにします。

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