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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んで考えたこと続編

こんにちは。
今回は、本書で触れられた
「円本の普及」から現在の「情報」と「知識」
そしてこれからどうなっていくのか予想してみようと思います。

本書を真っ向から理解しようとしたnoteはこちら


ぜひこちらもご覧ください。

この記事は
・「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んでいないけど、興味のある方
・「情報」と「知識」について興味のある方
・ちょっと変わった視点から「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について考えたい方
こんな方にぜひ読んでほしいです。

では早速始めます。

円本の普及



着目理由

本書は労働史と読書史を照らし合わせて考えています。いくつかのトピックがありますが、私が特に注目したいのは「円本の普及」。これが現代人が「インターネット」の普及によって惑わされている姿と重なりました。「円本の普及」についての理解を深めることで主題の解明に繋がると思いました。

社会との繋がりの時代

大正15年(1926年)頃から昭和5年(1930年)頃にかけて円本が大流行しました。
「1円で本を売る」なんて破格すぎるし博打すぎる。
大胆な時代だなと思っていました。
しかし、本書を読んでそうではないことに気づきました。

まず、時代は「社会とつながること」を大切にしていました。人々は「社会とつながること」を望んでいたんです。
全身全霊で働くこと、それこそが人生の喜び。
さらに
「本」という文化が庶民に開かれていく境目でもありました。
農民にとって「本」は憧れの存在。
社会の労働規範が整ってきたからこそ、知的な労働者、社会的地位の確立されていた層には大ヒットしました。

と思っていました。
しかしこの時代背景には書店の戦略と社会の中での「見栄」が複雑に絡み合っていることに気づきました。

円本に隠されたサラリーマンの思惑


円本は
前期(最初の購入者)
後期(古本屋での購入者、第二読者)
この二つによって違う使われ方をします。

まず、前期から見てみましょう。

本書でも取り上げられているように、円本は企業戦略の成功として大ヒットしました。当時、書店業界の売り上げは芳しくなく、何か戦略的に企画することで、この状況を打破する必要がありました。
円本とは1冊1円で売り出すことですが、実際はそれだけではありません。

円本とはシリーズ本の戦略だったのです。
知的でかっこいい本のシリーズを1冊1円で販売。つまり、1円では完成しない仕組みです。当時は本が貴重だったので、

インテリアとして「かっこいい」
全巻揃えることで圧巻な「円本」

ちょっと余裕のあるサラリーマンを中心に大流行。

そう、本が日常に馴染んだ「本を知識として日常に取り入れる層」ではなく
本が貴重で到底手の出せないような「本が憧れの層」でもなく

本があることは認識できるし、知的であることが社会で評価されることも理解している。しかし、労働によって時間がない「サラリーマン」
ここが「空虚で見せかけのかっこいい」を求めて購入しました。
だからこそ、綺麗なまま何十年も読み続けられることになったんです。

円本の知識手段としての普及

何年も綺麗なままの「インテリア」としての役割を果たした円本は古本屋でも綺麗なまま販売されます。さらに安く普及されたことで、農民の勉強したい層や子供達に「知識」が届くようになります。本書でも有識者が幼い頃、「円本」によって探究心を掻き立てられたと記述があります。

ここでは、
想定していない情報を知る
知らない情報を学ぶ
考える

そんなノイズを含めた「円本に記載された文章」が時代の基盤に貢献しました。
円本は社会的な地位を必要としない&社会的なスタートとなる教養が広く普及するきっかけを作ったと言えます。

実態と見かけ

円本の前期は
見た目が重視されて
円本の後期は
「知識」を得る手段として重視されました。
ここから
「本」も最初は情報だったのでは?
という仮説が浮かび上がってきます。

このことをインターネット(SNS)と比較しながら考えていきます。

空虚で見せかけのかっこいい

インターネット(SNS)は2000年代初頭に普及しました。
今使っているパソコンを含めた様々なデジタルデバイスに必要な仕組みです。
本書で取り上げられている
「花束みたいな恋をした」で
パズドラばっかりしちゃう麦くん。
パズドラはアプリゲームでありインターネットのような世界中とつながる最新の仕組みを利用しないとできないものではあります。
でも、調べ物が簡単にできること、世界中の考え方や文化に手軽に触れられることとはかけ離れた使い方であることは自明です。
ゲーム会社の戦略であり、本来のインターネットの目的ではなく
なんとなく眺めて、なんとなくぼーっと使ってしまう
そこにノイズなんてものはなく、人間心理に基づいた戦略によって
「夢中」にさせられます。
SNSも同じようなものです。
中身の単純な画像、動画が拡散される
1%の笑顔と99%の虚像

ノイズがないからこそ、何にも考えなくていいし、早いし。
でも、ノイズがないからこそ、やめられない。
ノイズがないからこそ、世界中で普及している。

こんなふうにいうこともできると思います。

この現象って円本の前期
何年も綺麗なまま「インテリア」としての役割を果たした円本と似ていませんか?
インターネットのノイズのない見せかけの普及
円本の内容ではなく見た目を重視したことによる本の普及

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を考えるために必要な「情報」と「知識」の違い。
円本の普及とインターネットの普及の前半(初期)は非常に似ているなと思いました。

綺麗で安価な教養

円本はある程度普及(古本屋で取り扱われるようになったあと)すると本来の役割を果たします。中身が読まれるようになって考えるようになって
「知識」を得る手段としての本が普及します。

これは、円本が見せかけであっても広く普及したからこそ。
綺麗で安価な教養という手段が生まれたんだと思いました。

インターネットのこれから

インターネットが円本と同じように空虚で見せかけのかっこいい(情報)として普及しているのであれば、次は知識手段として普及することになります。
最新の動向を見ると
インターネットを使った「副業」
インターネットを使った「AIの発展」
インターネットを使った「金融の進化」
これらはただの情報以上の役割があります。
価値を提供する、より深く考える、より多くの人に伝わるように考える。
インターネットを使うためには「知識」としてのノイズを必要とする時代がやってきたように思います。
本ほど回り道はしないけど、見かけを大事にする程度では「想い」は伝えられない。「想い」がないならAIとの違いが見出せないので、「価値」としては評価されにくい。
こう考えると「知識」手段としてのインターネットが普及していく気がします。
円本は社会的な地位を必要としない&社会的なスタートとなる教養が広く普及するきっかけを作ったと言える。
そうであるなら
インターネットの普及も
社会的な地位を必要としない&社会的なスタートとなる教養が広く普及するきっかけを作るといえそうです。


「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

本書に記述のある通り、著者は
「本を読むこと=仕事と両立させたい、仕事以外の時間」
と説明しています。

情報を求めること。
このデメリットが円本の普及のように
空虚で見せかけのかっこいいを求めて、ノイズのない情報ばかりで世界を作ってしまうことなら、
このメリットは
社会的な地位を必要としない&社会的なスタートとなる教養」が広く普及するきっかけを作ることと言えるのではないでしょうか。

働いていて本が読めない状態は
社会改革の予兆ということもできると思いました。
著者は
「本を読むこと=仕事と両立させたい、仕事以外の時間」
と述べているので、
映画をみる、ライブに行く、手芸を楽しむなどの文化的な楽しみが難しくなるくらい労働に集中してしまう
ということはのちに社会基盤を作る手段を作っているのかもしれません。
この本は読書史と労働史を照らし合わせながら

次の時代を作る「何か」について考えるきっかけをくれました。

もし、歴史が繰り返されるなら、
インターネットが「情報」ではなく「知識」になる時代が来るのではないでしょうか。


インターネットが「知識」としてどのような役割を果たすのか、
インターネットが「知識」になった時代の「知識」にアクセスしにくくする弊害(情報手段)は何か。
すごく興味深い議題に気づきました。

「本を読むこと=仕事と両立させたい、仕事以外の時間」
と何度も明記されているからこそ、
情報手段として活用されていたこと、
知識手段として楽しみたいこと。
この考えがわかりやすく伝わってきました。
新書は久しぶりでしたがめちゃ面白く読了できました。
三宅香帆さんの作品は初読だったので他の本も読もうと思います。


ぜひまだ読んでいない人は読んでみてください。


少し複雑なお話だったので、書くことが難しかったですが、
9月の初旬からゆっくり味わって考えることができました。
質問などがあればコメントください!ぜひ一緒にこの本について考えていただけると嬉しいです。
ではまた。









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