【個展感想】四宮スズカ 四連展示企画「scow」

今日は我が友人でもあり強敵(とも)でもある四宮スズカ(@SuzukaShinomiya)の展示を見た感想を書いていこうと思います。

始めに宣伝しておきますが四宮スズカの四連展示企画「scow」は8/1〜8/13まで東京都の上野周辺(最寄りは根津駅)で開催されています。この記事を読んで気になった方はぜひ立ち寄ってください。


では書いていきます。


四宮スズカのすべて

「今回の展示を見ると四宮スズカのすべてがわかる」といった内容を本人も言っていたが、それは確かなように思う。

私が四宮スズカと知り合ったのは2022年の12月で、すでに多摩美の学生であった彼女の大学入学以前のことは一切知らない。それが今回の展示を見ると作品から自然と時系列がわかり、当時の状況もわかるような気がしてくるのである。


ざっくりと時系列順にどう変化していっているのかまとめると

構成的、二択の乱立、鑑賞者を見定める

選択肢のマクロ対応、自他の在り方の認識と確認

番外編 塩、偶然性を引き寄せる

といった形になる。

鑑賞者を見定める作品

時系列を追うだけならばGallery 美の舎での展示がまずおすすめだ。ギャラリーに入って右手の壁から壁を伝って反時計回りにみるとちょうど時系列順に理解できるように並んでいる(はず)。

Gallery 美の舎の入って右手から、とても構成的な作品が三点ある。
これらは構図的な対比、色彩的な対比、質感的な対比など、シンプルなロジックを幾重にも張り巡らした構成が特徴だ。

それらがある部分では見えやすく、ある部分では見えづらくなっている。これはなにも視覚的なわかりづらさや内容的な難解さを多分に含んでいることから生じているわけではなく、それぞれの関係性や視線誘導の優先順位によって見えづらさを演出している。

私はこれらの作品を「鑑賞者を見定めるための作品」だと感じた。
画面に現れている対比は単純であるがゆえにどれを先に見るかや、見るものの価値観でどの対比が特に際立って見えるのかが変化する。四宮本人には鑑賞者がどんな選択をするのかで鑑賞者がどういった人間なのかわかる。描いた四宮本人が鑑賞者を評価するためのもののように感じる。

しかしこれは傲慢な態度から生じたものではなく、自分に興味を持つ人間がどんな人間なのか知りたいといった純粋な興味から生じている部分も多分にあるように思う。

加えて、大人っぽさが前に出てくる作品ではあるのだが、純粋に「これはいい作品だろう?」と誇るような、少し子どもっぽいとはいかないまでも年相応と思うような四宮の自信も感じられる。

これらの作品が作られたのは受験予備校にいたときとのことであるが、そう思って作品を見てみるといくらか内容にも合点がいくように思う。


国家のような作品

いろいろと端折るが、次はGallery 美の舎の入って正面、奥の壁に飾られた美しいグラデーションが特徴の二枚。これは国家のような作品だと感じた。

私事ではあるが、私の作品はあまりにも無意識を排したものなので、言葉のような作品と称されたことがある。言葉のもつ一定の確かさと、言葉にすることによって排されてしまう情報の存在。そういったものが私の作品からも感じられるとのことだった。このような既存概念との共通性を四宮の作品からは感じた。

四宮のこの二点はマクロな視点から知覚する諸々の事象や存在をグラデーションという形で自己の感性に翻訳したもののように感じた。これは予備校時代の作品のようなミクロ的観点からの脱却の意味が大きい。しかし四宮の見据えるものは何も変わっていない。単純に視点がよりマクロに寄っただけだ。

構成がシンプルでマクロ的なものになったことで、込められたものもよりシンプルで抽象的なものになった。しかしそれでも具体としての描写には手を抜くようなことがなく、画面の上には大小細々な存在が明確にあらわれている。この点が国家のようだと感じた。

おそらく四宮のキャリアを通じたものとしてみるとこれら二点の作品は補助線のようなものになっていくと感じている(作品の大きさや描写も補助とは言えないほどに十分立派ではあるが)。


谷中ギャラリー hacoで展示されている作品は塩とアクリル絵の具を使って作られたものだ。これは実験的なもののように感じた。

四宮の作品は全体的に偶然性が抑えられ、本人の意志が全面に出た意識的な物が多い(もしくは意思に対して偶然性の割合が少なく見える)。その中で偶然性を意識的に取り込む意図で採用したメディウムが塩なのではないかと思う。

個人的にはこれらの作品はあまり四宮ぽさがないと感じた。どの作品も四宮の技量に起因しないような均一な画面に見えた。どこかでみたことのある画面と言える。塩による現象は再現性が高すぎるのかもしれない。

四宮の作品として見るには少し違和感があったが、メディウムの探求の跡が見られる作品、しかも作品としての強度も十分にあるものが見られてとても新鮮な体験だったのは確かだ。今後も多様な作品を生み出してほしいと感じた。


まとめ

この記事を最後まで読まれた方は必ず見に行ってください。

おわり





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?