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【日記】毒を食らわば皿まで

しばらくマシュマロを返信していなかったのだけど 、ピックアップしたものを公開してみる。

いろいろと端折るが、正直、悩んでいる。
マシュマロもそうだし、SNSの使い方も見直すときなのかもしれない。



がんばろう宣言

誹謗中傷について誰がやったかを特定するのはあんまり意味がなくて、SNSやっててそこそこ目立つようになればこんなのよくある話。問題は他の人ができている対策(愛嬌よくする、こまめに何気ない会話のきっかけを用意するなど)を俺ができてないということだと思う。俺はなんでもないことでも敵を作るきっかけにしてしまう能力に長けているので人一倍気をつける必要がある。


友人に「SNSは告知と割り切ってイベントだけ人前に出る存在になればいいじゃん」と言われても、SNSでの宣伝にも日々の善行ポイント(リコメンドされるための内部評価値)が必要だし、SNSでしか会えない人もおるし、そもそもリアルだけの活動というか存在でやっていけるかも謎なんよなあ。みんな大好き白黒思考でバッサリとやめるのではなくよい落とし所を見つけたい。

仮にそれらをバッサリとやめた際のデメリットは経済面の安定を損なうことや活動の衰退に繋がることもそうだけど、なによりは人としての成熟が大きく損なわれることにあると思っている。


もし今回のようにアンチ的な発言が煩わしくてマシュマロやめてしまうと、イエスマンばかりがほしくなってしまって、いろんな意見を飲み込む度量がなくなる気がする。

別段、褒めてほしいからマシュマロをやっているのではない。匿名にすることで発言者の負担を軽減して、自分だけでは知り得ない視点からの情報を提供してもらい、ありがたく取り入れるためにやっている。本当ならもっと大小なんでもいろんな人のいろんな意見が聞きたい。

今回のような記事については「ファンよりもアンチの声に耳を傾けることを優先した」と思われることもあるので今回限りにしたいと思っている。

ただ、単純に返信ができない、返信しないことが適切だと判断したものはアンチ的内容でなくとも返信しないので了承していただきたい。


自己愛と自他境界線

話を変える。
個人的に「アンチは俺に嫉妬している」とは思わない。ただ単純に自己愛がバカでかいのだろうなと思う。自己愛がでかく、コントロールが効かないこと。またそれにより(もしくは加え)自他との境界線が曖昧であることもあるのではないかと思う。

自己愛による虚栄と現実のギャップを見せつけてくるうっとおしい存在として私が機能してしまっているのだろう。SNSは自分とジャンルや交友関係が近い存在であれば近い場所に送られる。そこでなにがきっかけか知らないが私が目障りに感じる部分があったのだろうと考えている。

ものすごい偏見と攻撃性の高い発言になるが、SNS(特にTwitter(X))の人間の中には社会性に欠け、傲慢で、攻撃性に偏った人間がそれなりに多くいるように思う。

彼らの逆鱗に触れると活動を続けている限りは嫌がらせや妨害工作にあう。何も嫌われることを率先してやる人間もそこまでいないだろうが、厄介なことに彼らには社会性が欠けているので、彼らの怒りのポイントは社会的な人間にはわからない。

なので根本の対策はできないかとてもリスクの高いものばかりになる。
取りうる対策は対症療法のようなものになる。


誹謗中傷への対策

私が取れる対策は以下のようになる

・情報を証拠として取っておく
・危険度の高いものは法に訴える
・SNSでは大事にしない

証拠として残るものは自分の手元に取っておく。危険度が高いと判断したもの(物理的接触、具体的な危害の想像できるもの)については警察と弁護士へ相談する。この際に証拠も併せて提出する。

2023年の1月にも誹謗中傷被害にあった際も同様に対処したが、SNSで法的措置の進捗や相手の情報がわかるようにしてしまったのはミスだった。警察と弁護士への相談と並行してSNSで本人との接触をはかり、話し合いにて事態が収束すると思っていたものの、難航したため法的措置を進めた。

そもそも相手との接触などせずに粛々と手続きをすればよいものの、相手が元身内であったため余計なことをした。加えて相手がSNSで誹謗中傷をさらに投稿したため、さらに余計なことに抑止力となると考えて法的措置の進行をSNSで発表してしまった。

これはなぜよくないのかというと私刑にあたるからだ。日本は法治国家なので私的に罰を与えることは法的秩序が揺らぐことに繋がる。ことSNSでは私刑と思わずとも簡単に私刑が行われ、思いもよらない被害が生じることがある。

この影響力の有無については主観でなく客観でみることで明確にわかる。
私はすでに私刑と思わずとも私刑が起こせてしまう立場にある。この発言自体が場合によっては脅迫になるほどであり、「俺ってすごいんだぜ」といった意味で安直には使えない。願う願わずを問わず、行使されるべきでない力の所在に気を配るのは、幸か不幸か、力ある者が果たすべき当然の義務である。

なのでSNS上でのやり取りでも大事にはせず、裏で粛々とことを進めていればよい。これは泣き寝入りと思われたり、相手を増長させることに繋がっても絶対に破ってはならないと考えている。最悪、人が亡くなるからだ。

余談ではあるが、この私刑を起こせるだけの影響力をさまざまな自分の問題を不可視化するために使う者もいる。そしてそれは社会性に欠け、傲慢で、攻撃性に偏った人間である場合も多数、目にする。
何がとはいわないが、明日は我が身と思い、自分の道徳観を信じてまっとうな人生を歩んでいきたい。


終わり




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