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負けを選ぶ私

YouTubeである動画を見ていたとき、
「競争意識の中であえて負けを選んでいる」という言葉が私の中に引っかかった。

なんだかいつも負けている気がするし、それをもしかしたら選んでいるのかもしれないと思った。

私はちょっと珍しいジャンルの歌を27になった今も歌手を目指して勉強しているけれど、とある経験から発声に問題が生まれ、格闘してもう5年目にもなるのにまだ解決していない。この一年はとってもよく向き合っていると思うし、結果も出てきているけれど、1歩進んで2歩下がるようにめげそうになることは本当に多い。能天気だからこの問題に向き合えているというよりは、いつも壊れそうになる精神との戦い。
(あれ?この問題はすごく辛いけど、得ているものも大きいかもしれない....という気づきは後日むきあおう....)
周りの人からみたら、一生懸命なのにかわいそうな人、とか思うポジションなのかもしれない。バリバリ歌って結果を出している人を見て引け目を感じたり、勝ち気に見える人に恐れさえ感じている私。向いていないんだろうな思いながら続けている。

前の恋愛では、遠くに住む人に恋をした。お付き合いする前もした後も、相手から突然連絡が途絶えた。私はそういったことを真正面から受け止めて納得するまで断ち切れない性格で、1度目は1年、2度目は5ヶ月引きずり切った。で、毎回音信不通から1年後に連絡がくる。1度目は対応したけれど、2度目は音信不通にする人間の気持ちは分からないものだと受け止め、返事をせずに連絡先を消した。当時彼のことが大好きだった気持ちを、彼の行動に振り回されていた。自分の時間を棒に振ったうえ、たくさん苦しんだ。多分こんなに苦しんだのは意味のないことだったし、相手はその苦しみを1ミリたりとも知らない。私からはなんの仕返しも(?!)してない。綺麗に負けたと思う。

仕事では、不器用さや自信のなさから失敗する回数は人より多く、怒られた後に感情を立て直すのが苦手でトイレの鏡で目を真っ赤にした自分を何度か見た。感情を強く感じてしまう。フリーターなので、そんな姿を可愛い大学生に晒していて、ああこりゃ痛いよ・・・笑

ここまで書いたように、私の社会の中では周りの人より劣っていることが当たり前になってしまっている。劣っていることに、もはや安心しているな、と感じたのが「負けを選んでいるかも」と思った理由。

少し話が飛ぶけれど、私は人生の中で5本の指に入るくらい「人から愛されること」が大事なようだ。
前職の精肉店のバイトでは、自分で言うのもなんだけど、主婦さんやおじちゃんにとっても可愛がってもらった。ある人にはこっそり仕事中に和牛の切れ端ハンバーグを作ってもらったり、たくさんお肉を食べさせてもらった。とても可愛がってもらったな、という自覚があり、精神的にも物質的にも、たくさんのことを与えてもらったと思う。誰かに「特別に何かしてもらう」という経験が、非常に多いと思う。

私の心の中では、負けとは愛される術なのかもしれないな・・・と思った。

少し、勝ちが似合う女に変化してみたいなという思いが湧いできている、何者にもなれていない27歳の女なのでした。

明日から旅行だけど、楽しみで目が覚めちゃった!ずっとしたかったネイルをして、うきうきだ!

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