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試し読み:『コンヴィヴィアル・テクノロジー』冒頭部分

2021年に刊行した『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』緒方壽人 著)より、冒頭部分をご紹介します。


コンヴィヴィアル?

思想家イヴァン・イリイチは、著書『コンヴィヴィアリティのための道具(Tools for Conviviality)』において、行き過ぎた産業文明によって人間が自らが生み出した技術や制度といった道具に隷従させられている、つまり、人間は道具を使っているつもりで実は道具に使われているとし、未来の道具は、人間が人間の本来性を損なうことなく、他者や自然との関係性のなかでその自由を享受し、創造性を最大限発揮しながら共に生きるためのものでなければならないと指摘した。本書は、この「コンヴィヴィアリティ」という概念を足がかりに、これからの人間とテクノロジーのあり方を探っていく。

そもそも「コンヴィヴィアル(convivial)」という言葉は聞き慣れない言葉である。日本語では「自立共生」などの訳語が与えられるが、元はラテン語のconvivereに由来し、conは「共に」、vivereは「生きる」、すなわち英語で言えば“live together”「共に生きる」ことを意味する。

イリイチは、なぜこの言葉を選んだのか。この言葉にどんな意味を込めたのだろうか。メキシコでイリイチに直接師事した山本哲士氏の著書には、次のような一節がある。

たとえば、ラテンアメリカのある山村に、異質な人(他所からきた宣教師や神父)が訪れ、バナキュラーな暮らしをしている村人たちに役立つ「いい話」をしたとする、それがいままでなかった異質な話であるのに、村人たちの暮らしに役立つようなものであり、和気藹々とその時間がすごされたとき、「今日はとてもコンビビアルだった」という言い方をされる。他律的なものが、自律的なものに良い方向へ働いたということだ。現在の日常でも、それは使われている。
スペイン語では、現在でも日常語として生きている言葉だ。メキシコシティにある大きな公園、チャプルテペック公園は、「コンビビアル」と銘されている。子どもと大人たちが、楽しく過ごす場所である。他所の異質なもの、そしてある限られた時間、そして相反しているものが共存しえたとき、これがコンビビアルなものの要素である。

イバン・イリイチ

また、19世紀フランスの食物哲学者ブリヤ=サヴァランにとって、コンヴィヴィアリティ(convivialité)とは、異なる人々が長い時間をかけて美味しい食事をしながら親しくなり、インスピレーションに満ちた会話をしながら時間が過ぎていくことを意味していた。ちなみに、フランスの世界的酒造メーカーであるペルノ・リカールは、2019年「Be A Convivialist !(コンヴィヴィアリストになろう!)」と銘打ったグローバルキャンペーンを実施している。キャンペーンの目玉として製作されたドキュメンタリーフィルム「The Power of Convivialité(コンヴィヴィアリティの力)」は、上海のカラオケに集うミレニアルからマルセイユで友達と街に繰り出す女性たち、ニューオーリーンズの素敵なディナー、ベルリンの大晦日、メキシコのビーチ、ブルックリンのバー、インドの結婚式まで、誰かと分かち合う時間を過ごす「コンヴィヴィアリスト」たちの姿が綴られたロードムービーである。

自律と他律のバランス、自分とは異なる他者との出会い、そうした他者と同じ場や時間を分かち合うこと─コンヴィヴィアリティという言葉には、ただ「共に生きる」という意味だけではすくい取れないニュアンスが含まれているのである。

もちろん、毎日宴が続くようなユートピアを夢想したいわけではない。ただ、コンヴィヴィアリティは、まさにコロナ禍でわたしたちが失ってしまったものそのものではないだろうか。本書はコロナ以前から企画してきたものであるが、文字通りコンヴィヴィアルな場を失っているいまだからこそ、改めて人間同士のコンヴィヴィアリティについて、そしてそれだけでなく、人間とテクノロジーとの間の、あるいは人間と自然との間のコンヴィヴィアリティについて考えてみたいのである。

本書の構成

本書は以下のような構成をとる。

[第1章 人間とテクノロジー]では、イリイチが『コンヴィヴィアリティのための道具』で伝えようとしたメッセージを改めて紐解いていく。イリイチは、テクノロジーだけでなく社会システムも含めたあらゆる「道具」には、人間の能力を高めてくれるに至る第一の分水嶺と、逆に人間から能力を奪ってしまうに至る第二の分水嶺があると言い、その「二つの分水嶺」の間にとどまる多元的なバランスを保つためのガイドラインを示した。そこでイリイチが提示した多元的なバランスのための「生物学的退化」「根元的独占」「過剰な計画」「二極化」「陳腐化」「フラストレーション」という6つの視点は、まさにいまわたしたちが第二の分水嶺を超えたテクノロジーの時代にいることに改めて気づかせてくれる。

[第2章 人間と情報とモノ]では、情報テクノロジーの時代における「二つの分水嶺」とは何かを考えていく。コンピュータとインターネットがもたらした情報テクノロジーは、ある意味では個人の力を高めてくれるコンヴィヴィアルな道具であるが、一方で情報テクノロジーという「道具」にもまた「二つの分水嶺」は存在する。ここで考えなければならないのは、イリイチの時代のテクノロジーが象徴したエネルギーや動力といった「物理的な力」ではなく、情報処理能力や自律性といった「知的な力」であることだ。さらには、今後IoTやAI技術の発展によってデジタル化が進み、モノがより自律的に自ら感じ、考え、動き回る世界において、テクノロジーはもはや「道具」というより、自律性をもった「他者」といった存在に近づく。また、すでにそうした世界に足を踏み入れつつあるいま、改めて人間の持つべき自律性とは何かについても考えていく。

[第3章 人間とデザイン]では、人間と情報とモノがより深く複雑に関わりあい、人間を無視してテクノロジーだけを取り出して議論することができない情報の時代において重要性を増す「デザイン」について見ていく。なぜなら、デザインとはまさしくテクノロジーと人間のあいだにある「道具」であり、デザインすることは人間に着目することであり、デザインは人間を動かす「力」を持っているからである。デザインの歴史を振り返りながら、デザインの「力」とは何かを紐解き、そしてデザインという「道具」における行き過ぎた「第二の分水嶺」についても考えていく。デザインは人間を動かす「力」を持っているからこそ、人間をテクノロジーに依存させるものにも、人間に自律性を取り戻させてくれるものにもなり得るのである。

[第4章 人間と自然]では、人間が地球に影響を及ぼし始めた「人新世」とも言われる気候危機の時代に、テクノロジーの果たすべき役割について考えていく。ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは「自然〈ピュシス〉は隠れることを好む」と言い、テクノロジーの語源であるギリシャ語の〈テクネー〉とは「自然の中にある隠された力を現れさせる」ことを意味していたという。そう考えると、いまテクノロジーは自然の力を現れさせるばかりで、自然の中に隠れさせることができていないのではないか。自然と共に生きるために、ハイデガーの言うような自然を駆り立てないテクノロジーはいかにして可能だろうか。そして、サステナビリティの本質とはいったい何なのか。思想や哲学の歴史における人間と自然とテクノロジーの関係を紐解くことは、テクノロジーに関わるエンジニアやデザイナーにとっても様々な気づきを与えてくれるはずである。

[第5章 人間と人間]では、人間と人間との関係、つまり人間社会について考える。本書冒頭にも述べたように、コンヴィヴィアルとは端的に言えば「共に生きる」ことを意味する。わたしたちは自然から逃れて生きていくことができないように、生まれながら他者の存在なしに一人で生きていくことはできない。そうであるならば、テクノロジーは、自然から逃れるためではなく、自然と共に生きるための道具であると同時に、他者との関わりを断つためではなく、他者と共に生きるための道具でもあるべきだろう。フィルターバブルと言われるような人間同士の分断が様々な問題を引き起こしているなかで、そもそも「わたしたち(We)」とは何を意味するのか、寛容や責任や信頼といった、普段何気なく使っている概念について様々な思想にも触れながら、人間と人間の関係における二つの分水嶺についても考えていく。

そして[第6章 コンヴィヴィアル・テクノロジーへ]では、ここまでの章を振り返りながら、現代版「コンヴィヴィアリティのための道具」とも言うべきコンヴィヴィアル・テクノロジーとはどのようなものかを改めてわたしなりにまとめてみたい。この第6章がいわば本書の核心である。

さらに[第7章 万有情報網]では、本書を執筆する出発点ともなったERATO川原万有情報網プロジェクトの研究総括である東京大学の川原圭博教授をはじめ、最先端のテクノロジーに日々関わりながら各研究領域を牽引するリーダーたちとの対話を通して、コンヴィヴィアル・テクノロジーについて共に考え、その実践の可能性や課題を探っていく。

わたし自身がデザインエンジニアとしての経験のなかで考えてきたこと、そして、テクノロジーの歴史から、情報、デザイン、自然、人間社会に至るまで、これまでに触れてきた先人たちの哲学や思想を巡る本書が、テクノロジーに関わるすべての人にとって、改めていまここからの人間とテクノロジーのあるべき関係について考えるきっかけになれば幸いである。


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