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試し読み:『ウェルビーイングのつくりかた』はじめに

2023年9月に刊行した『ウェルビーイングのつくりかた 「わたし」と「わたしたち」をつなぐデザインガイド』(渡邊淳司、ドミニク・チェン 著)より、「はじめに」をご紹介します。


はじめに

ここ数年、急速に「ウェルビーイング」という言葉を聞くようになりました。それは誰にとっても重要でありながら、一方でその本質がつかみづらいものでもあります。また、サービスやプロダクトとして社会に実装された、傑出した実践例も数少ないように感じます。そのような問題意識から、筆者らは、人々のウェルビーイングに資するサービスやプロダクトをつくる実践の指針となることを目指し、本書を執筆しました。そして、その実践の指針は、「人々のウェルビーイングはどのように実現されるべきなのか?」という原理的な問いにも配慮したものでありたいと考えています。これらの観点から、筆者らが大事にしているのが「“わたしたち”のウェルビーイング」という考え方です。

この考え方自体は、2020年に刊行された『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想・実践・技術』(渡邊淳司/ドミニク・チェン 編著)において中心のテーマとしてとりあげたものですが、本書では、それを実際に社会のなかで実践するために、“わたしたち”のウェルビーイングとはどのようなものなのか、既存のウェルビーイングの理論と比較しながら捉え直し、そして、「“わたしたち”のウェルビーイングに資するサービスやプロダクトとはどのように設計すればよいのか?」という具体的な問いに、筆者らの実際の活動や経験にもとづいて答えていきます。

この「はじめに」では、“わたしたち”のウェルビーイングの背景にある筆者らの思いについて簡単に述べたいと思います。まず、本書のタイトルにもあるウェルビーイングとは、「よく生きるあり方・よい状態」を指す英語の名詞であり、2030年までに達成すべき持続可能な開発目標(SDGs)の次のビジョンを構成する中核概念として、さまざまな国や国際機関、企業、NPO、教育機関などで重要視され始めています。

それでは、なぜ今、ウェルビーイングが大事なのでしょうか? まず、巨視的な視点で人類の歴史を振り返ると、これまでの歴史は、人間がよりよく生きる環境を作り出してきた歴史だといえます。生存という観点では、医療が発達することで健康寿命が大幅に伸び、さまざまな病気に対する治療法も確立されてきました。さらに、医療の充実だけでなく、誰もが基礎教育を受けられるようになりました。その結果、人類が積み上げてきた知識に誰でもアクセス可能になり、自身のよりよい生活のために自ら工夫できるようになりました。そして、テクノロジーが発展することで、安定して食料を手に入れ、エネルギーをうまく利用して快適に暮らし、遠隔の人ともコミュニケーションを行うことができるようになりました。他にもたくさんのことを挙げることができますが、ひとまず、人間はテクノロジーのおかげで着実によりよい生活を実現してきたように見えます。

では、このままの考え方で、人類は今後もより豊かな生活を手に入れることができるのでしょうか?

少なくとも筆者らはそのようには考えません。たとえば、産業が過剰に発達した結果、膨大な二酸化炭素の排出によって地球の温暖化が進み、異常気象が引き起こされ、大規模な森林火災や海面上昇が起こっています。また、日本に住んでいる人には、2011年3月11日の東日本大震災によって起きた福島第一原子力発電所の事故は記憶に新しいでしょう。

これらをはじめとする近年の問題の本質は、人類社会が作り上げてきたテクノロジーそのものではなく、それらを含む世界の捉え方だと筆者らは考えます。地球上で最も影響力の大きい生命種となった人類は、主に自分たちの利便性や効率性を求めてテクノロジーの開発に邁進してきました。それを支えてきたのは、「人間は自然を制御できる」という思想です(ここでは、この考え方を「制御の思想」と呼んでおきましょう)。この制御の思想が、翻って前述のような問題を引き起こし、人類自らの生きる世界を狭めてしまったともいえます。そして、この制御の思想を、自然に対してだけでなく、人類がお互いに対しても持つようになり、人(他者)をコントロールするテクノロジーが作られるようになりました。

実際、現代のデジタルテクノロジーの多くは制御の思想にもとづいて実装されています。ウェブ広告やマーケティングの分野では、「関心経済・注意経済(アテンションエコノミー)」と呼ばれるように、人々の関心を吸い寄せ収益を上げることが中心的な話題となっています。また、人工知能は膨大なデータをもとに、複雑な世界のなかから意味あるパターンを見つけたり、新たなパターンを作り出すことができる技術です。しかし、その仕組みを理解せず、無批判に人工知能の出力を信じ行動してしまうことは、知らず知らずに人工知能に生活を制御されることにつながりかねません。

経済や労働の分野でも制御の思想が広まっています。会社組織において人材マネジメントは、従業員の自律性を保ちながらその能力を引き出し、発揮させる仕組みであるべきですが、時として、経営者が収益を上げるために従業員を機械のように扱い、その心身を疲弊させてしまう、いわゆるブラックな労働環境も生み出されています。経営者が従業員を制御の対象としているということです。また、何らかのサービスがなされる場においても、お金を支払った人がサービスを提供する人をあたかも自分の道具のように扱うなど、さまざまな状況で「誰かを制御する/誰かに制御される」という関係が前提となり、人と人との関わりが生み出されているように感じます。

また、制御の思想は、人々がどう生きるべきかという社会規範にも影響を及ぼしています。その最も顕著な例は、他者をラベリングして、単純な理解の範疇に入れてしまうというかたちでの制御です。生物学的な性も、性のアイデンティティも、男女の2つだけであるという固定観念は、そこから外れるセクシュアルマイノリティを長いあいだ例外扱いし、抑圧してきました。女性の社会進出もまた、働く男性と家事をする女性というような家族観をめぐるステレオタイプによって阻まれてきました。そして、特定の人種や民族に対する差別の問題は現代でも根強く存在しています。

このような制御の思想には、自分の便益のために他者を利用する、“わたし”のための“あなた”という考えが根底にあります。もちろん、ここまでに挙げた例は、意識的に他者を制御しようという意図から生まれたものではなく、当人でも気がつかない無意識のバイアスとして醸成されていることも多くあります。だとしても、“わたし”の常識が、実は自分も含めて、多くの人々のよく生きることを阻害しているかもしれないと、一度立ち止まって再考することが求められているのです。

“わたし”のウェルビーイングのために“あなた”のウェルビーイングが損なわれる。それが意識的か無意識的かにかかわらず、“わたし”のための“あなた”という考え方だけでは、人々が共によく生きる社会が実現できないことは明らかでしょう。筆者らはこれまでテクノロジーとウェルビーイングの関係性、テクノロジーが生み出す人と人のつながりについて研究活動を進めるなかで、

(1)“わたし”のウェルビーイングの〈対象領域〉を、他者や社会、自然まで含む“わたしたち”に広げること
(2)〈関係者〉として他者や社会、自然まで含め、“わたしたち”としてのウェルビーイングを実現すること

が重要だと考えるようになりました。どちらも、個人を他者、社会や自然から独立した存在として見るのではなく、それらとのつながりのなかから個が浮かび上がる、という視点にもとづいています。

(1)の“わたし”のウェルビーイングの〈対象領域〉を広げるというのは、その人が自分(I)に関する要因だけからウェルビーイングを実現するのではなく、それ以外にも、他者との関係(WE)、社会との関係(SOCIETY)、自然や地球などより大きなものとの関係(UNIVERSE)という複数の要因にまで意識を広げ、多層的な関係性からウェルビーイングの選択肢を広げていくということです。その場合、人間や自然を制御し、それらのウェルビーイングを損なうことは、翻って自分のウェルビーイングを損なうことにもつながります。

(2)の〈関係者〉を広げ、“わたしたち”としてウェルビーイングを実現することは、“わたし”個人だけでなく、他者や社会、自然を含めた全体を自分事としながら、個人と全体の両方のよいあり方を実現していくというものです。これまでのウェルビーイング研究の多くは、一人ひとりの心理的な充足を目指すもの、もしくは、個ではなく集団全体がうまく機能することを目指すものが主でした。〈関係者〉を広げるということは、個人としてのよいあり方と集団としてのよいあり方の両方が、お互いの価値観を理解し尊重しあうなかで実現されるということです。ここで重要なのは、“わたし”と“わたしたち”は相互に補完的な関係だということです。自分とは、異質な存在たちと“わたしたち”という共通認識を築けない自己中心的な“わたし”ではなく、また、“わたし”が自由に存在できない呪縛としての“わたしたち”でもない、それら2つの充足が並立する世界の見方が求められるのです。

そして、“わたし”のウェルビーイングの〈対象領域〉をWE・SOCIETY・UNIVERSEといった“わたしたち”まで広げることと、他者・社会・自然まで〈関係者〉を広げて“わたしたち”としてウェルビーイングを捉えることは、独立した営みではありません。自身のウェルビーイングの〈対象領域〉が広がることで、結局それらをも〈関係者〉とした全体のウェルビーイングに意識が向けられるようになるのです。本書での「“わたしたち”のウェルビーイング」という表現では、これら2つの意味を内包するかたちで“わたしたち”という言葉を使用しています。

さて、ここまで、“わたし”のための“あなた”という制御の思想ではなく、“わたしたち”のウェルビーイングに着目する筆者らの思いについて述べてきました。以降、本書では、“わたしたち”のウェルビーイングに資するサービスやプロダクトをどのように作り出せるのか、具体的に考えていきます。そのために、第1章では、これまでのウェルビーイングの研究や実践の動向を“わたしたち”という視点から整理・再解釈し、デザインに向けた考え方の共通基盤とします。第2章では、“わたしたち”のウェルビーイングを実現するために、「ゆらぎ」「ゆだね」「ゆとり」という3つのデザインの領域を提案します(「ゆ理論」と本書では呼びます)。文脈に応じて適切なゆらぎ、ゆだね、ゆとりを考慮し、それが“わたし”と“わたしたち”をどのように接続するのか、サービスやプロダクトを作り出す思考・試行を支援します。そして第3章では、これら3つの領域における日常のさまざまなシーンでの“わたしたち”のウェルビーイングのかたちを筆者たちなりに考察していきます。

ウェルビーイングの研究・実践領域は日進月歩で発展しています。そのため、本書に書かれた内容は唯一絶対の正解を示すものではなく、ウェルビーイングという領域に対する筆者らの現在進行系の応答という意味合いが強いかもしれません。しかし、それは、筆者らが実際にさまざまな活動を行うなかで得られた実践知にもとづくものであり、その実践知を読者のみなさんと余すことなく分かち合うことを目指しています。本書が、読者の方々の固有の生のなかで、よりよい共生・共創のあり方が実現される助けとなれば幸いです。また同時に、みなさんがこれから発見していく「“わたしたち”のウェルビーイング」のデザインについても、いつか共有していただけたら嬉しく思います。

2023年9月
渡邊淳司/ドミニク・チェン


Amazonページはこちら。Kindle版(リフロー形式)もあります。


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