見出し画像

フィールド授業 Day3 HOZU BAG ワークショップ

三日目のフィールド授業のプログラムは、HOZU BAGワークショップだ。HOZU BAGとは、かめおか霧の芸術祭から生まれたアップサイクル製品で、いまや亀岡の環境保護の取り組みの顔になっている商品である。亀岡で盛んに行われているパラグライダーの生地を使ったエコバッグで、軽くて丈夫、カラフルな一点物のバッグとして人気を集めている。

今回のワークショップは、このHOZU BAGのプロジェクトを当初から担い、工場長として活躍されている武田幸子さんに行っていただいた。

HOZU BAGの成り立ちを説明する武田さん

HOZU BAGの誕生

もともと、亀岡市が「かめおかプラスチックごみゼロ宣言」をしてプラスチック製レジ袋の提供を禁止するタイミングで、かめおか霧の芸術祭でエコバッグをデザイン、配布しようとしたのがきっかけだった。ただ単にエコバッグを作っても面白くないということで企画されたのが、KAMEOKA FLY BAG Projectだった。

亀岡駅の北側の開発が進められているタイミングで、ちょうど広大な土地と京都サンガのサッカースタジアム建築用のクレーンがあったこともあり、パラグライダー素材エコバッグの巨大なオブジェ「FLY BAG」を吊り下げるイベントを行ったのである。さらに、この巨大オブジェの生地の好きな部分を切り取ってオリジナルエコバッグを作るワークショップを実施した。これは亀岡青年会議所などんとも協力を得ながら進められた。

天高く掲げられたFLY BAG

パラグライダー素材のエコバッグは市販するにあたって、亀岡市を流れる保津川にちなんでHOZU BAGと名付けられた。デザインは、FLY BAG Projectのアートディレクションを担った武内昭が担当した。武内は、東京のアパレル企業THEATRE PRODUCTSの代表として、ファッションの最先端をいく。そのデザイン性の高さもあいまって、日本国内はもとより、フランスやカナダ、韓国など海外でも取り扱われるようになった。特に、MoMAのミュージアムショップで取り扱われたことは、高い評価につながった。

また事業開始のタイミングで、一般社団法人きりぶえが設立され、HOZU BAGの製造・販売の受け皿としての役割を果たすことになった。きりぶえは、かめおか霧の芸術祭実行委員会では実行しづらい収益事業を担う組織として、芸術祭の主要メンバーによって立ち上げられた。私もその立ち上げメンバーとして、当初は監事、その後、理事としてきりぶえを運営している。きりぶえの中でHOZU BAGは成長し、事業が軌道に乗り始めた2023年12月には、株式会社としてスピンアウトすることになった。

NUCBの学生たちには、このHOZU BAG製作のうち、パラグライダーを解体し、素材にするところまでを行ってもらった。

産業廃棄物から素材に変える

パラグライダーは、幅13メートルほどにもなる大きなものだ。人の命を預かるものでもあり、数年に一回、期待検査が行われ、空気透過率などが計測され、基準に達しないものは廃棄される。しかし、廃棄するにはあまりに大きく、産業廃棄物として取り扱われることになる。処分には手間もコストもかかるため、パラグライダー教室などでは使えなくなったパラグライダーを倉庫に保管して、まとまった量になったときに廃棄するなどしている。

そんな巨大なパラグライダーを作業台いっぱいに広げて、まずは紐を取り除き、続いて空気穴のあいた活用できない部分を取り除いていく作業を行っていく。最終的に、バッグなどをつくることのできる素材へと変化していく。

数人がかりで解体作業に当たる

このような「もの」の変化は、興味深い。二日目に行った山のホームセンターワークショップでも、木の枝が道具に変貌するさまを体験した。廃棄物であったパラグライダーは、解体される中で、それがもっていた特定用途としての機能を失い、多様な用途に向けて活用できる可能性を内在させていく。作業しながら、「リュックにもなりそう」「テントがつくれる」など、会話がかわされたが、これは木の岐の可能性をブリコラージュ的に探索するのと類似している。

紐の廃棄問題と有機的な時間

とはいえ、すべての素材が可能性に開かれるわけではない。今回解体したパラグライダーのうち一機について、紐が細く、絡まりやすいものであったため、それをわざわざほどいて再利用するよりは、焼却してしまったほうがよいのではという意見が出た。一方で、武田さんは「それは悔しい」と言葉にした。経済合理性を考えるのであれば、捨ててしまったほうがいい。しかし、この合理性によって切り捨てるという行為自体に感じる「悔しさ」とはなんだろうか。

複雑に絡み合った紐

武田さんはこのワークショップを実施するにあたって、「単純作業ではあるが、そこに有機的な時間を体験してもらいたい」と説明した。誰もができるかんたんな作業でありながら、しかしあるタイミングで、私たちは熱中し始める。古くはチャップリンが、映画『モダンタイムス』の中で、ベルトコンベアに流れてくる部品を組み立てる作業に分業されることで、非人間的な業務になっていることを批判した。廃棄物という社会にとっての無駄になっているものに可能性を与える作業には、有機的な意味が内在しているよう思える。

そもそも、廃棄物をアップサイクルするよりも、最初から新品のパラグライダー素材を調達してバッグを作ったほうが楽だ。もつれた紐を捨てるのであれば、そもそもパラグライダー自体も償却するほうが、経済合理性の観点から言えば正解だ。しかし、それを再度素材に変えて可能性を見出していくプロセスに、私たちは意味を見出しているのである。紐を捨てると考えたときの「悔しさ」は、意味を見出すことのできなかった私たち自身のクリエイティビティの貧しさを認めることになるからでもあるだろう。

価値の経済から意味の経済へ

ここにあるのは、価値の経済ではなく、意味の経済だ。費用対効果、最近ではさらに時間対効果のタイムパフォーマンス(タイパ)が重視されている。しかしそこで議論されているのはあくまで価値であり、意味ではない。

「10億円もらえるが、今日で人生が終わるとしたらどうか」という問いかけがある。多くの人が、「10億円もらっても、それなら意味がない」と答える。ここで「あなたの人生には10億円以上の価値がある」というやり取りになるのだが、これは正しくない。10億円には10億円の価値がある、しかしそのお金はそのままでは意味がない。それをどのように使うかということに、人生における意味がかかっているのである。人生を価値で測ってはいけないという寓話として理解すべきだ。

このパラグライダーの解体作業も、実は、初日に体験した「巡り堂」と同様、社会的に生きづらさを感じている人たちによって行われている。そのことの意味も合わせて考える必要があろう。経済的観点からみれば、引きこもりの人たちは、まるでパラグライダーのからまった紐のように、価値がないと切り捨てられてしまうかもしれない。しかし、そこには何かしらの意味があるはずである。私たちはこうした態度をこそ学んだのだと言える。


最後にレジバッグのパターンを切り出す

提案に向けて

こうして3日間のワークショップが終了した。来週末には、この体験を踏まえたディスカッションと、一般社団法人きりぶえに対する提案が行われる。アートとクラフティングの問題、ブリコラージュ、有機的な時間。そうした体験が提案にどのように反映するのか、今から楽しみである。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?