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『アフター・サーヴィス』:Yellow Magic Orchestra

ふと、私は音楽についてあまり書いていなかったなと思う。
なので、

この機会をいいことに少し私と音楽について語ろうと考えた。

上記記事には
・そのCDを教えてくれたひとや知ったきっかけ
・そのCDに関連する作品や人物への思い出
・楽曲をよく聞いていた時間や場面

を書いた方がいいと書かれている。

なので、ここは素直に章立ても似たようなものにする。

ちなみに、本CDについてはこちらをご参照いただきたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アフター・サーヴィス

では早速。

知ったきっかけ

これは、Yellow Magic Orchestra(以下YMOと呼称)を知ったところから話すべきだろう。

14年ぐらい前、私が12歳のとき、スカパーのとあるチャンネルで
GREEK THEATRE(ロサンゼルスだったかな?)で演奏されていた
『Rydeen』が流れてきたのがきっかけである。↓こんな感じ

(まずければ消します)

当時典型的田舎少年であった私は、インスト(歌がない)である点や 、
当時よく触れていたJPOPとは全く違うアヤシゲな雰囲気(なんだ?この機材達は)にすっかり、虜になった。

とはいえ、このオジサンたちについて調べる手段は当時の私にはなかった。
(そのときは、インターネットは自宅になかった)

なので母親に↑について訊くと、グループの名前や、母がかつてはユキヒロ氏(ドラマーの方)のファンであったことがわかった。

父親は、『Rydeen』を聴くなり、
「ようパチンコ屋でかかっとるわ、これ」とだけ言った。

そう、田舎というのは文化が根付いていない。
小説の話は出来もしないし、
YMOのような、1970〜80年代の音楽など同世代にはウケが悪かった思い出しかない。

当時、TVや小学校などの校内放送で流れるJPOPの歌詞に辟易していた私は、
YMOについて語り合う友がいないだろうとわかっていながら、
彼らが出したCDをレンタルしていった(隣町の人口2万の市でも、探せばベスト盤くらいはあった)。

元々他人と趣味について語り合う趣味がなかったのが幸いしたのだろう、ベスト盤を一通り聴いた後は、オリジナル・アルバムを聴いていった。

こんな感じで。

商業化したというのか、悪口を言いたい訳ではないが
「万人に共感されるメッセージ」とやらが込められた音楽はもう聴けない体になってしまっていた。

その点、YMOにはインストゥルメンタル(歌なし)の曲が多く、
私を苛立たせるような説教臭さがなかった。
YMOには歌ありの曲もあるにはあるのだが、
小六の私には英語の歌詞は理解すべくもなかった。それがよかった。
(YMO初期の歌詞はほとんどが英語である)

それに、なぜだか心地よい曲というか、
テクノミュージックに対していうことではないのかもしれないが安心できる曲が
多いように感じた。

その理由は、後に、中学高校で楽器に触れ朧げに理解できるのである。


肝心の、本CDを買ったきっかけは
レンタルでは『AFTER SERVICE』が手に入らなかったので購入することにした、という至極シンプルなものである。

本アルバムはYMOの「散開コンサート」(実質解散コンサート)
を収録したライヴアルバムなのだが、

・坂本龍一が主旋律を演奏していない
・何曲かでユキヒロがボーカルに専念し、ドラムをやっていない
(ユキヒロのドラムプレイが好評であるだけに、この批判がある)

といった点で一部ファンに叩かれているようだが(私が観測した限り)、
普通に曲自体のアレンジが良くて好きなので私は全く意に介していない。

特に、このTakeの『中国女』のイントロ、全体を通したリズム隊のフレーズは
彼らの演奏でベストなのではないかと思うくらいである。

『邂逅』の結末に向けてのシンセのうねりもすごい。

とにかくお前ら、全員聴けや
後悔させへんで


聴いていた時間や場所

これは、主に通学や学校をサボって近くの海に行っているときだ(中学、高校で)。

中学、高校ともに坂が多く、長大な通学路を自転車で進むには好きな音楽がなければやってられない。しかも山ばっかりで変わりばえしない風景だし。

もしかすると、そのときに英語の曲を聴いてたから私は「ガリ勉学生」だったのかもしれない(YMOの曲や歌詞は英語が多く、意味を調べる過程で事実英語の成績は上がった。)。

サボっているときに聴いていた、というのは
私には、どうしても人が密集している中にいるのが耐えられないときがある。

さらに、行っていたのがあまり程度が高くない高校だった
(生徒の大多数は目標などなく、ただ惰性で生きているように見えた)ので、そいつらの中にいると気が狂いそうになったのだ。

そうなって、人に溢れた教室を出た後にiPod nano(第六世代)で聴いていたのである。

耐えられなくて出てきたからには、勉強や読書はできない。そんな気分じゃない
ならば、音楽鑑賞である(こう書けば私が真っ当な学生に思えてくるのではないか)。

今思えば、「愛」や「友情」を押しつけてくるような音楽しか知らなければ
私はどうなっていたか。考えるだけで恐ろしいものだ。

色んな奴に、「そんな曲聴いて楽しいの?」と訊かれた。
結論としては
楽しいし、救われた。YMOを見つけた過去の自分を褒めてやりたいよ

むしろ、同級生達が何を聴いて生きているのかがわからなかったぐらいだ。

加えて、気分を切り替えるときには必ず聴いていた気がする。
模試の結果が今ひとつだったり、学校がつまらないとき。
10代によくあるシチュエーションだ。

そんなときは、いつもよりボリュームを上げて音に集中すれば気分がなぜか晴れたものだった。
※効果は人により、異なります

現実逃避には最適だったということだ。


関連する作品や人物への思い出

こちらは複数あるので、順を追って説明する。
・サントラ
・ドラム
・インターネット

主に3つについてである。

サントラ

について、私とそれの関わりについては以下の記事を参照頂きたい。

↑の記事では、サントラマニアの私が当該ジャンルのCDに収録されている
ドイツ語の歌をきっかけにドイツ語を学ぶ様子が記されている。

実は、そもそもSoundTrackを聴き始めたのはYMOがきっかけなのだ。

サントラの曲はほとんどが歌なしの曲である。
この時点で人によって大いに好みが分かれること請け合いである。

私が初めてYMOを聴いたとき、『Rydeen』を聴いてノリノリになってしまったので、
別の機会に、たまたまアニメーション(『Gundam00』だったと記憶している)の背後で流れている音楽が気になってしまったのであろう。

幼い私ながら、己の好みを分析し、似たような音楽を探し出していたということであろう(インストゥルメンタルという点において)。

一点、補足すると、両者が似ているとは一概に言えない。

とは言え、それがきっかけで後に
ドイツ語を勉強するまでになるのだから、人生わからんものである。

ドラム

さらに、YMOきっかけでドラムをはじめることになった。

時期としては中学生のときである。
当時通っていた中学は1クラス10人で変わった学校だった。

そのため、音楽会で「合奏」なるものがあり一人一楽器を担当し、
披露することになっていた。

当時の私はといえば、5歳からピアノをやっていたわけではなく楽譜も読めない、
触れてきた音楽は「テクノミュージック(YMO)」ぐらいのものだった。

どの楽器を演ろうかと考えながら、YMOのLive動画を観ていると
何をやっているかがわかりやすいパートが見つかった。

そう、ドラムである。

「これやったらなんとかなるで」

思春期ならではの全能感に支配された私は、その楽器をはじめることになった。

(だから私には未だに音階の概念に乏しい)

だが、やってみるとユキヒロのようには全くいかなかった。

まず、ユキヒロはスネアの一発一発が小気味良すぎる。
あれを連続でできる気がしなかった。

そして、やかましすぎないフィルイン。

楽譜通りに演奏するのと喝采を受けるような演奏は違ったのである。

この挫折から、
YMOの心地良さはユキヒロのドラムにあったことを認めざるを得なかった。

リズムの点では、細野さんのベースもいいんだがな。

リズム隊の凄さは↓動画を参照

(改めて、音楽とは感性だけではないことを思わせられる)

このように、「挫折」はしたものの、大体6年ぐらいドラムをやって
ベースやっている女の子といい目を見ることができたり、
カラオケではリズム感だけはいつも満点の男となることができた。

ゆくゆくは、年収を上げ自宅にドラムセットが欲しいものである。

※モテたければドラム以外の楽器をやるのが無難。
しかし、バンドにはいつもドラマーが足りないので、所属には困らなかった。


インターネット

同年代の知り合いで、YMOについて語れる者はいなかった。
人口2万人の市ならともかく、大学進学で住むことになった政令指定都市でも
そうだった。

別に、趣味について語れなくても困りはしないのだが、情報収集にあたっては悩みの種である。

そんなときに、インターネットは大いに私を助けてくれた。
(ネットは中学校入学時に開通した)

メンバーの経歴や結成したきっかけ、アルバムはどれだけ出ているか...etc

大切なことは全部ネットが教えてくれた

情報収集だけでなく、PCに音楽再生ソフトを数時間かけてインストールしたり、アートワークを設定したりと、案外今の仕事(プログラマ)に繋がる経験を小六から中学卒業にかけてしていた。


田舎住みのオタクにとって「文化」は手が届かないものである。
近所に舞台はないし、コンサートなどは、1時間以内で行けるところまで来たためしがない。

それでも、輪郭だけでも知りたくてネットの海でもがいているうちにPC操作は習熟し、'70年代当時は坂本龍一と細野晴臣氏が不仲だということまで突き止めた。

YMOという40年ほど前のバンド(?)が好きな私は、「生まれる時代を間違えた」
と言われることも多いが、この趣味はインターネット時代にあっているところがあったのだ。

ネットなしでは私も「みんなが聴くような音楽」を考えなしに聴いていたのだろうか。

それに、8ビートはYouTubeで習ったことだしな
(音楽の先生に嫌われていた私はそうするほかなかった)。


総括

この記事を書いていて、改めてYMOは伝説だと否が応でも認めさせられる。

なんといっても、彼らがヒットを飛ばしていた70年代とは違い、私が彼らと出会った2000年代後半においては電子音が珍しいものではなかった。

つまり、「テクノ」だからではなく、曲そのものの良さで私を魅了したのである。
私に限らず、高校野球では『Rydeen』は応援歌として今なお定番である。

やはり、リズム隊がいいからなのだろう。

※リズムについて・・・余談だが、通っていた大学の文学部の教授によると
人間はリズムを求めるらしい。泣いている赤ちゃんの前でリズミカルに拍手すると泣き止むし、SE●がいい例だという(パン!パン!)。
信じるか信じないかはあなた次第である。


そして、インターネットを介したPCの向こうには同じ好みのファンがいた。

(当時よく観ていたMAD)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19591678

まるで、私のいる文化も何もない田舎と
どこか遠い、「向こう側」を繋いでくれていた気がする。

そして、当時ROM専だった私は、今やこんな長文を投稿するようになっている。


まさか、あのCDがここまで私の人生を動かすなんて

以上



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