ベンチ

昨年12/19に行われたKOTOBA SLAM JAPAN 20/21 東東京大会で読んだ詩をアップします。
この詩は昨年11/16に渋谷・幡ヶ谷のバス停で起きたホームレス女性の方が殴打され亡くなった事件と、渋谷だけでなく最近あらゆる場所にあるいわゆる「排除アート」や横たわることのできないベンチをもとに書いたものです。
いろいろとどれを読もうか悩んでいたのですが、大会が行われた場所が渋谷ということもあり、この詩を読みました。スラム向きではなかったから結果としては玉砕したんですけど。

先日、詩人の平田俊子さんが現場を歩いたという記事とともに、『現代詩手帖』2021年1月号に掲載された「『幡ケ谷原町』バス停」が載っていました。自分も自分なりの詩の表現の範疇内ではあるけれど、載せてみることとします。

この街にはもう
横たわるためのベンチが無い
まるで 休んでもいい人を
選んでいるかのようだ

イルミネーションが華やぐ街で
暗がりに目をやれば
物乞いをする人や
地べたに眠る人がいる

今年の冬は寒い
人は通り過ぎる
寒空の下では休む場所さえ
無くなってしまったのだろうか

街も人も平気で
排除を行うようなところに
未来はすでに無く
明日さえ 過ごせるか 分からない

この街にはもう
横たわるためのベンチが無い
不必要な仕切りで
人の心を痛めつけている

「つらい」という言葉が
誰にも届かずに宙に舞う
聞こえる言葉で言ったら
蔑みの言葉が返ってくる今だ

一国の総理大臣が
自らの愛称を言い笑いを誘う
政治は誰のためにある
路頭に迷う人を救うためではないのか

疫病の恐怖と
排除を促す社会に
未来はすでに無く
これからも 過ごせるか 分からない

この街に
横たわるためのベンチがあれば
束の間の休息でも
助かる人がいる

なのに
この街には
横たわるためのベンチが無い
命を嘲笑うかのようだ

ならば
誰もが生きられるように
部屋があり 屋根がある
人が生きるためのあたりまえを求める

殺されて良い命など無い
排除を是とする風潮に呑まれてはいけない
怒れ 遅くはない
人は生きて当然なのだ

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