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生きるのが下手な自身を再考する

【読者様へ:自分で書いていて醜くて、でも書きたくて…という感じの文になってしまっております。心に余裕が無い方は可能であれば余裕が出来てからお越しいただければ幸いです。申し訳ございません。】

不器用が過ぎる。
自身の今までの人生を振り返るとまず出てくる言葉はこれ以上もこれ以下も無い。
何が不器用かと言うと、「これは直さないと」と考え出してから180度変えてしまいがちなのだ。
例えば、
「マイナスの感情ばかり口に出すと自他共に疲弊する」と感じた時、
「想いを素直に伝えられない自身が嫌すぎる」と思った時、
「相手の顔色を伺わなさ過ぎてしばしば衝突する」と悩んだ時。
全て経験し、全て克服した。…とでも書けば聞こえは良いが、実のところは、
「とてつもなくプラス思考になり逆に相手を疲弊させる」…実際、相手が重荷に感じて離れたというのも遠くない過去にあった。
「想いを素直に伝え過ぎて逆に負担を感じさせる」
…今度は相手に負担をかける自分が嫌になってきた。
「相手の顔色を気にし過ぎて、ほんの少しの事で不安に感じる」
…これが断然タチが悪い。かつての自分は逆に何故あれほど好き放題出来ていたのか。
全て別ベクトルでダメになっている
に過ぎない。要は加減が下手なのだ。恐らく120度とか130度とかの変換で良いのを180度変えてしまっている。このように書く割には、この行き過ぎている50~60度を直そうとしてまた元に戻らないか、と心のどこかで思っていたりして、自身の拙さに頭を抱えたくなる。

実は最近noteを長文で書かなくなったのもこの加減下手が原因で、流れとしては以下の感じだ。
「気持ちを極力そのまま出した方が、生の自身の声という感じがしてより伝えたい事を伝えられる」

「やはりきちんと頭で一度練って相手にとって受け取り易い形にして出すべきだ」

気持ちを頭で練るが自身が伝えたい事を表す言葉にならない

noteの書き方がわからなくなる
こうして何も書けなくなった。つくづく自身の生きる下手さが滲み出ていて悔しいったらありゃしない。

今回は久々に長文として自身の気持ちを極力そのままの形で残しているが、書いていて自分に腹が立ってくるし、また読み手の誰かの地雷を踏んでしまわないかという恐怖心は付き纏いっぱなしだ。しかし同じぐらい、これ以上相手の顔色を伺って勝手に不安になるのを嫌がっている。ダブルパンチを食らっているような風に感じる中での言葉の羅列は、とてもドロドロしているように見えてくる。
生きやすくなりたい。

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