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やりたいことをやる人生

 自分のやろうと思ったことをやり遂げるのはあまりにも難しい。思い返してみると人生でやり遂げたことなんて、例えば二重跳びや逆上がりのような些細なものしか思い出せない。そしてそのやり遂げたことは小学校3年で時が止まっていて、それ以降は逃げてばかりの毎日だったと思う。
 先日「勉強は何のためにやるのか」という問いに対する返答の一例を目にした。それは「嫌なことから逃げないための練習」。その返答がずっと頭から離れなくて困っている。

 私は勉強から逃げた人間だ。小学校4年の前期を最後に毎日学校に行くことが出来なくなった。いわゆる学校恐怖症で、それを解決することもなくずるずると生きてきた。私の場合、学校恐怖症といっても全く通うことができなくなったのではなく長く通うことができなかった。最初は、心が元気なうちは問題なく通うことができた。でもふとした瞬間に、自分の疲れを自覚し学校に対する恐怖がメラメラと大きくなっていき学校に行くことができなくなった。具体的に挙げると小5~高1の間は持って4月~10月、酷いときは2日で学校に通えなくなった。
 高2からは毎日通うことを諦めて通信制高校に転校し、ギリギリ留年することなく卒業した。

 しかし問題は大学に入ってからも続いた。長期休み明け、テスト期間は決まって心が死んだし、きっかけがあれば簡単に「学校に行きたくない」と強く思った。それでも2年まではなんとか単位を落とすこともなく通いきっていた。私は大学3年の前期に大きく調子を崩し、授業を受けたり課題に取り組むことが徐々に徐々に出来なくなっていった。そして初めて単位を落としそのまま休学し今に至る。

休学中は英語を鍛え直そうと思っていた、しかし全く取り組まなかった
休学前は大学を辞めてやりたいことがあった、しかしやらなかった
休学すれば元気になると思っていた、しかしならなかった(と思う)

 休学してからは何も考えられなかったし、起きてご飯を食べて寝ることしか出来なかった。何を始めても続かなくて熱中できるものは何も無かった。ただ気付けば夜になっていて今日も何もしなかったなと布団に入って自分の無能さを憂いて涙する毎日だった。今日になってようやく今後のことを考え始めたくらいには何もしなかった。
 久しぶりに今後について考えた時、そもそも学校恐怖症を自覚していながらなぜ大学に入ったのかを思い出した。

何かをやり遂げた。

ただ、それが欲しかったのだと思い出した。今までありとあらゆることから逃げてきて、何度も逃げることしか出来ない自分を嫌い、憎み、殺そうとした。だから何かをやり遂げれば自分を好きになれると思った。死にたいと思う毎日を終わらせられると思った。

 自分のやりたいことがあるのに自分を貫き通せないことが自分の何よりの欠点だと知った。周囲から入ってくる情報や周りの人間に影響されて自分が何をしたいのかを後回しにしていた。
 だから少しずつ、少しずつで良いから自分の”やりたい”を叶える練習をしていこうと思う。叶えられなくてもしょうがないけれど、叶えようとする姿勢だけは失いたくない。

そんな私の第一歩目がこのnote。人生は究極の自分探し。
きっとまだ青い。これから何色になっていくんだろうか。 

 


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