見出し画像

バンクシーに最敬意! 私の人生を救ってくれた英国NHSを今こそ思う

 コロナ禍、医療のことが世界中で取り上げられています。

 変異株などの出現もありとりわけ深刻な英国。感染者や重傷者の桁が違います。たまにニュースなどで知る限りですが、医療従事者の負担は相当なものに違いありません。

 英国の覆面アーティスト=バンクシーが病院に作品を残し、それが最近競売にかけられました。巨額の落札価格になり、売り上げは全て英国の公共医療(NHS)に寄付されるとのこと。深い感謝の気持ちでいっぱいです。

 なぜ私が英国のこの件に特別な気持ちを抱くのか・・・今回はそれを書こうと思います。


ハッピーな英国留学のはずが・・・!


 それはかれこれ30年前のことです。

 当時勤めていた会社で数年たち、仕事にも慣れた頃。バブルへと続く上り坂途中の時代でした。女性雑誌でやたらとOLの「燃え尽き症候群」という言葉が出始め、その最も顕著な出口として海外留学する人がやたらとクローズアップされていました。同じように何となく現状や先行きにもやもやがあった私。踊らされたかもしれません。まんまと、人生の中で一度の海外留学生活を実行してしまったのでした。

 語学学校の学生としてロンドンで生活を始めました。久しぶりの学生生活と一人暮らしは何と楽しかったことか。第二の青春を謳歌していました。

 滞在3年を超えた頃です。何となく腰に重い痛みが走り始めました。そしてだんだんひどくなり、真っすぐに歩けなくなったのです。

 英国には家庭医という制度があり、どんな不調でもまずは家庭医に相談します。訪ねた家庭医は日本のクリニックのような看板もなく、診察室は普通の応接間みたいな印象でした。問診や検診は一切せず「寝て休め」が結論でした。そう、腰痛は英国では国民病のようで、深刻には捉えられていなかったのでしょう。

 ようやく紹介状を得て訪ねた大きな病院でも、軽い検診で帰されました。もちろん難しい専門用語の英語なんてわかりませんから、どこまで理解しあえたのか。

えっ、立てない! 私を襲ったものとは

 数日後の朝、起きようとした私の左足に激痛が走りました。「えっ、うそ、立てない」。とうとう痛みで立ち上がれなくなってしまったのです。

 当時私は、現地の日本人向けフリーペーパーの編集アシスタントとしてバイトしていました。その時期そのフリーペーパーでは、英国に研究で来ている日本人医師の連載記事がありました。そして本当に幸運だったことに、その人は整形外科の医師だったのです。 

 その方を通し英国人医師を紹介してもらえました。どうやって行ったのか、もう記憶はありませんでしたが、その病院はホテルかと見間違うかのような豪華なもので、巨大なシャンデリアが煌めいていました。いわゆるプライベート(私立)病院だったのです。

 検査の結果は椎間板ヘルニア。滑った椎間板が左足への神経に触れていて、すぐに手術との診断でした。費用は日本円で最低100万はかかるとのこと。目の前が真っ暗になるということは、このことだと思いました。

 今まで病気らしい病気や怪我には無縁。それなのに、言葉もおぼつかない遠い異国で生まれて初めての病気に手術。しかもお金なんて全くありません。痛み止めの強力な注射のせいもあってか意識が遠のき、天井がぐるっと回ったことを今も覚えています。

 その晩、けちってほとんどしなかった国際電話で、父に報告しました。留学費用をコツコツ自分で貯めたのも、実家には頼れないから。けれども「お金なら何とかするから、大丈夫だ」と父。その声を違和感のある音質で聴きながら、初めて大粒の涙がとめどもなく零れ落ちたのでした。

地獄から天国ってこのこと?!重なった幸運

 当時私が住んでいたのはユダヤ人女性が大家さんのシェアハウス。翌日大家さんが様子を見に来てくれたので、手術のこと、お金のことを打ち明けました。すると大家さん「お前はNHSカードを持っているんだから、無償で医療が受けられるはずだ」。耳を疑いました。

 私は学生アルバイトとして給与から税金を引かれていましたので、その証としてNational Health Service(NHS)/国民健康サービスのカードを保持していました。NHSとは英国の公共医療サービスのことで、これに加入している人は全て基本的医療を無償で受けられるのです。

  しかし手術をしてくれる医師はプライベート病院の医師。ダメもとで相談してみました。全ての医師かはわかりませんが、私の担当医師はプライベート病院以外にNHS病院でも診察をしていました。日本でも医師がいくつかの病院で診療窓口を持っていますね。そんな感じです。

   ただNHS病院は非常に混んでいて、手術や入院はかなり待たされるのが通常とも言われていました。待てなくて、泣く泣く高額なプライベート病院にかかる人も多いそうです。

 私のもう一つの幸運・・・それは時期がクリスマス前だったこと。英国人にとってクリスマスは家族で過ごす、一年で最も大切な時です。入院患者も許される限りクリスマスから新年にかけては一時帰宅するとのことでした。

 医師もベッドも確保できました。

 私はこうして、同じ医師がプライベート病院で執刀・入院すると100万プラスかかったであろう費用を全く負わずに、椎間板ヘルニアによる足の激痛から解放されることになったのでした。

National Health Service/国民健康サービス
一般的な課税と国民保険の寄付(国民健康保険と同様)を財源に美容整形など一部の例外を除き、基本的に国民が医療制度のほとんどを無償で受けられる英国のシステム

英国とNHSへの感謝と隠れたヒーロー

 生まれて初めての手術。10時間位はかかったようです。深い眠りから目覚めると、見慣れぬ高い天井。最初は全てを理解できませんでした。体の真ん中が異常に重い。標本箱にピン止めされた蝶ってきっとこんな感じなんだろう、とぼんやり思いました。

 来てくれた英国人医師と日本人医師二人の顔を見て、ようやく気付きました。助かったんだ、と。安堵と感謝で胸がいっぱいになりました。

 その後数日入院したと思います。ろくな英語も話せない私なのに、どの看護師さんもみんな丁寧で優しく接してくれました。とりわけ記憶にあるのは、手術前も後もですが、自力でトイレに行けない私の下の世話を、まるで子供をあやすように鼻歌まじりで、手際よくしてくれた黒人の看護婦さん。気づけば患者の下の世話や掃除などの作業は、ほとんどこういう方々でした。

 もちろん病院中のワーカー全てに感謝していますが、人種によって職種が明確に異なる現状は、確かにありました。

 バンクシーがNHSに送った作品「Game Changer」の中で、新たなヒーローとしてたたえられている看護師さんのお人形。それが有色人種に描かれていることには意味がある、という解説を耳にして大いに納得しました。バンクシーは作品を通してNHSを支援していますが、同時にNHSがそういうワーカーたちによって支えされていることにも、光を当てているのです。

 胸が締め付けられました。鼻歌を歌って私のお尻にシッカロールをはたいてくれた、あの黒人の看護婦さん。シッカロールの甘い匂いと共に絶対に忘れませんし、忘れてはならないと思います。

最後に

 私は英国民ではなかったけれど、英国に助けてもらいました。だから今回のことで英国の医療の話が出るたびに、自分の体験がより鮮明に思い起こされ他人事には思えないのです。そして改めて、NHSとそのワーカーに感謝と敬意を払わずにはいられません。

 せめてもの恩返しとして、こうして記憶をつづり少しでも知っていただければと思います。これからも戦いは続くでしょう。ただただ、遠い日本から心よりの応援の念を送り続けます。

*写真はバンクシーのインスタグラム画面から取りました。banksy 「Game Changer」  www.banksy.co.uk

*書いた内容はあくまで1989~91年のものです。現在の制度と異なることもあると思います。ご了承ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?