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コトバを深掘りする Day 17. "Vulnerability" 脆弱性 XIII

Vulnerability(脆弱性)


今日は「脆弱性」について話す 13回目です。
私は、少しずつ「生きていくためには『脆弱性』を乗り越えていく勇気が必要」だと解ってきましたが、皆さん、如何でしょうか?
今日は最近の自分にアプローチして、一緒に考えてみましょう!

”Vulnerability” を辞書で引くと、日本語訳では「脆弱性」と出てきますが、それは「傷つくかもしれない可能性」 や 「生身をさらすこと」 ことを意味しているのが判ってきました。


このことを踏まえて、今日のworkです。


あなたは、自分に対してどう思っていますか?


子育て、後輩育成、生徒の指導、自分より経験の少ない人に何かを伝える。これまで生きて来た中で、または今、あなたにもこのような経験があるかと思います。

今の私に身近なのは、こんな例です。

自分は親に育てられたけれども、子供を育てるのは初めてで、何でもかんでも試行錯誤で取り組んでいます。自分や夫の判断を信じて取り組んではいるものの、時々は「これでよいのだろうか?」と思い、インターネットで動画や情報を探したり、書店に駆け込んで、今の自分のシチュエーションに合う様な本を熟読したり。子育てでなくても、後輩育成や生徒指導などで、同じような経験があるのではないでしょうか?

もちろんその「情報」に書かれていることは正しくもあります。ただ、それが必ずしも「唯一無二の正解」であるかどうかは判りません。世の中に「これが唯一無二の正解なのだ。これ以外は認めない」などと言う状況は、実はあまりないのかもしれません。
自分のやり方と違うことをしている人を見ると、批判をする人もいますが、大概は人を批判するのは、自分に自信がないからかもしれません。何故なら、自分の選択を疑う気持ちが心のどこかに潜んでいると、自分がいかに正しく取り組んでいるかを証明したくなるからなのです。

この世の中では、教育の仕方や子育て、トラブルメーカーになりがちな親についてなど、人のことはあれこれ批判して盛り上がりますが、肝心の一番大事な「厳しい真実」からは、目を逸らしている人が多い気がします。いわゆる「自分を棚に上げて」という話です。

その「真実」とは、私達がどんな人間であり、世界や自分の国、自分の身近な人達とどのように関わっているか、どのような姿勢でいるのか、は、子育てや教育の知識がどれだけあるかということよりも、「あなたは、子供や生徒、後輩達の、この先の将来をうつす鏡である」ということです。

「親」は、子供が持って生まれた気質や性格を、思う通りに左右することはできませんが、自分の行動や言動を見せることはできます。

問われるのは「正しい育て方をしているか?」とか「正しい子が育っているか?」ではありません。むしろ、「自分は、子供に【こう育って欲しい】と思える様な大人なのか?」ということです。


この「子供に」という箇所には「生徒に」や「後輩に」、「自分より経験の少ない人達に」も、同じように当てはまります。

ありのままの自分を愛し、受け入れる子になって欲しいならば、自分達が「ありのままの自分を受け入れている」でしょうか? 思いやりのある子に育って欲しいならば、自分達が「思いやりのある人」なのでしょうか?

あなたの背中を見て「成長している人」は沢山います。子供だけではありません。
今日は、「自分は誰にお手本にされても恥ずかしくない、誇らしい人物だろうか?」ということを一緒に考えてみましょう!


今回もお読み下さってありがとうございました。
今日も良い一日をお過ごし下さい!

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