生存に向かう私達という装置

 そして当たり前に生きていく。
 総ての行程が過去完了形となったので記そうと思う。私の知人がCOVID-19に罹患した。今もう退院して職場復帰している。
 その人ーー仮にB氏としよう、とは職場で月に2,3回顔を会わせる。私もB氏と同じコーヒーサーバーからコーヒーも飲んでいる。B氏は温厚だが運動好き、温かい胚芽パンを愛する正しい意味で「意識の高い」人だ。
 B氏の症状は最初は発熱だった。咳はないが呼吸に違和感がある。職場の伝手を通じて早急なPCR検査を行った。結果陽性。即地元のCOVID-19対応病院に入院となった。
 B氏の行ったPCR検査はある意味≪抜け駆け≫のようなルートだ。しかし私はこれを卑怯だとは思わない。私は検査会社のある程度知れる立場にいるが、現在のPCR検査の検査は逼迫していない。B氏は責任のある立場にいる。そもそもPCR検査の件数を抑制するメリットが不明。熱発のある人には4日待機など悠長なことをせず積極的に検査を行って、COVID-19だろうがなかろうが治療に繋げるべきだ。
 B氏の職場は感染症対策が誠実に行われてきたため、保健所の調査でも同僚は濃厚接触者に該当とはならなかった。営業も感染者が出たことを公表のうえ2週間の休業。次なる感染者も現れず、かつてと同じように営業を再開することができた。
 幸いにもB氏の症状は軽度で済んだそうだが、それでも恐ろしかったそうだ。入院中何回かPCR検査をするのだが、症状が軽快しても検査はなかなか陰性とならない。入院から2週間を過ぎると検査前日には不安から吐き気がして眠れなかったという。
 日常は小さく再開された。朝の電車はもう混んでいる。潜伏期間、無症状感染、エアロゾル。明日にも私がB氏となりうる。それでも正しく怖れ、静かに戦い続けなければならない。
 生きていく術はまだあるのだから。


今日の英語:Survival

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