人知は小さく、空はそのまま

 去年の今頃はどうだったか。記憶を検索しても混沌ばかりで、あの出来事はこの時期だったのか紐付けて思い起こすことが出来ない。
 この日記は2021年の約4月1日に開始したので、昨年の3月の日記は作成していない。確か昨冬も寒冷アレルギーの咳をしていたように思う。ただ4月半ばには手拭いマスクの自作を始めていたので、3月は稀少な配給の不織布マスクを洗って干して1週間使っていたのだろう。
 しかし私の日記のタイトルは、内容の見当をつけて読み返すには不親切なセンスだ。
 私の少ない知己血縁でCOVID-19に罹患した人物はいない。職場ではあの胚芽パン好きのB氏が罹患したが、現在は後遺症もなく復帰している。同僚の家族やお子さんの通う学校幼稚園でCOVID-19の感染が発生したという話はあるが、職員自身の感染は生じていない。
 運が良いだけ。それでもパンデミックの実感が遠い。
 私は集団でなにか楽しむというのが苦手で、自転車で軽く走ってコーヒーとサンドイッチと本で休憩でもすればそれで満足できる。喫茶店で長居できなくなったことは多少不便だが、アルコールを分かち合うことができない苦痛は理解できない。
 それでも、怨嗟にも似た前線の咆哮は漏れ聞こえてくる。
 砂の城は最初から少しずつ崩れるのではなく、何回目かの波で一気に崩れる。私が立っているのは波打ち際、自分は覚悟が足りていないことを常に自覚しなければならない。
  人間とは無関係に、もうすぐ春は来るだろう。


今日の英語:Reality

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