実感の遠い日常

 このところ情報がおかしな方向へ向かっている。これまで日々報道されていたCOVID-19の新規感染者数が扱われなくなった。集計は取られているのだろうが、TVで字幕速報までしていた感染者数が「探さなければ分からない情報」になっている。
 確かに数字で煽るばかりの解説は正しい報道ではないかもしれない。しかし緊張感を持って日常を暮らすに必要な情報のはずだ。この国でいま油断できる要素など皆無のはずなのに、何をどう誘導したいのか。
 商業施設内、未だに「2020」の五輪グッズの売場がある。綺麗に掃除はされているが、今年あそこで売り上げが発生したことがあるのだろうか。
 私の職場は医療関係であるため、私にもワクチンを接種するか意思確認の通知が来た。不安はある、でも接種は受けよう。副反応の心配、特にこの国は愚かしい薬害禍を起こしている。しかし事態ここに及んでは信じるしかないだろう。科学、生存の意思、こうやって悩みを綴っていられるだけ幸運なのだ。
 それでも、365日後にまた不安な報道を眺めているような気がしてならない。


今日の英語:Discontinue

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