香りは空に消え、大気は宇宙に生滅し
一昨日は仕事を終えて特急電車で移動、昨日は四十九日の法要を執り行って高速道路で帰宅。そして今日は朝風呂に入り行きつけのフードコートでフライドポテトを食べている。
祖母の死から今日まで、仕事の追い込みもあって繁忙に切れ目がなく砂嵐のような日々だった。それでも葬儀に伴う選択事項は全て両親が取捨したので、私はただ忙しいと言っていられる分気楽だったのかもしれない。再度留守を託した猫たちは今日も全開の食欲、世はなべてことも無し。
昨日は快晴とはならなかったが、雨の気配もなく秋らしい肌触りの良い空気だった。地方都市のその外縁、山裾の見晴らしの良い斜面にある寺院。開け放たれた本堂、広く間を取って並べられた椅子、読経の遠くで電動草刈り機が鳴っていた。抹香。古い大きな沢山の位牌。
四十九日は冥府の裁判が終わり極楽へ向かう日と説明されたが、果たして皆が同じ極楽を求めるのだろうか。描く楽園は同じだろうか?祖母は悪人ではなかったが古い価値観で硬直した人だった。あらゆる人間が共存する彼岸は存在し得るのだろうか。それはレーテーを潜り抜けて初期化された魂でなければ到達できないのではないか。
今日も天体は人間の運命の一切も動かさず運行する。百日後も空気は乾いたにおいをしているか。明日の私もわからない。ただ今日も太陽はそこに見えていた。
今日の英語:Memorial service
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