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あくてえ/感想

あたしの本当の人生はこれから始まる。
小説家志望のゆめは90歳の憎たらしいばばあと母親と3人暮らし。

あくてぇ
山下 紘加

第167回芥川賞候補に上り詰めたこの作品は数ある候補作の中からシンプルなそのタイトルで私を惹きつけた。内容は主人公のゆめ、母親のきいちゃん、そしてその母親にとって義母に当たるばばあの三人によって繰り出されるやり取りを追っていく物語。

父(つまり義母にとっての息子)が不倫の末家を出たにも関わらず、この母子が義母を養うという一見不思議な構図で、それは母親きいちゃんの義母ばばあに対する感謝が故とだけ述べられている。

日常をつらつらと描かれているようなのに、どこか緊張感が絶えないこの一冊ではそれぞれの登場人物がピンと張った糸を綱渡りするように何かに縋りながらギリギリのラインを生きている様を思わせる。ゆめはあくてえに、きいちゃんはばばあに、そしてばばあはこの二人に。

ゆめは一人モヤモヤと燻ぶっていたのだろうと思う。最後の最後までこの主人公はいつか事切れてしまわないだろうかとハラハラしながら読んだ。積もり積もった怒りは周囲の人間を巻き込む。またそうした結果の悪循環を最終的に引き受けるのも本人であり、なんともやるせない気持ちになった。

あたしの思いは、うるせえな、に全部集約される。感情をうまく言葉に出来ない自分への苛立ちも含めて、浅はかで卑しい言葉の羅列に集約されていく。あたしは、ただ、あくてえをつくしかない。

あくてぇ
山下 紘加

ずっと憎い、と思う相手の弱さに目を向けることは相手に情状酌量の余地を与えることになり、こちら側がしんどい。子どもではいられないが、大人にもなり切れない中間をゆらゆらと揺らぎながらゆめは「あくてぇをつく」という行為によって募る苛立ちをその都度昇華しようとしていたのではないかと思えた。

きいちゃんは夫が家を出た際も慰謝料を取らなかった。そして義母の生活の面倒を見ることに対してもノーと言わなかった。実家を飛び出したこともあり、実の親に援助を求めることもしなかった。しかしその結果を引き受けることとなったのは当人のみならず、その娘をも巻き込むこととなった。

自分が家を出てその人と一緒になったからだという責任感は立派だが、それが娘に影響を及ぼすのであればどうにも自らが折れて頭を下げて援助を受けるという前向きな対応への怠慢を感じてしまう。ゆめは傍目にも、今にもはち切れそうな精神状態の様に映る。しかしきいちゃんはばばあに対して優しくするようにと懇願する。

ばばあが不在の時きいちゃんは布団からなかなか出てこないなど、ばばあという存在がきいちゃんの襟を正ししっかりしなければと奮い立つ為のトリガーだった可能性を感じる。相互依存、否むしろ共依存の関係だったのかもしれない。だがそうした罪悪感から生まれた環境の負の部分はすべてゆめの双肩にのしかかっていったように思えた。ゆめはこの家で生活していては潰れてしまう、しかし見捨てるわけにもいかずこの家を離れることも出来ない。

ゆめはその後どうなってしまうのだろう…小説が成功することをただ祈るしかなかった。


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