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おうち論争について思うこと

持ち家VS賃貸の構造をよく目にするようになった。

結論から述べるとすればどっちでもいい。

好きにしたらいいのでは?という事になるが結局どの様な情報もこれ以上にもこれ以下にもならないように思う。なぜならどちらを選んでもメリットデメリットの両方があり、個人の趣向によりどちらかがよりメリット側に傾くからその選択がなされると言うだけのことだと感じるからだ。

ホームスイートホーム

マンションで育った私は子どもの頃一軒家に憧れた。実際に日本ではマンションに暮らしていたが、渡米先はデュープレックスタイプや一軒家などに住んでいたので実質どちらも経験した事になる。そして現在は賃貸に暮らしている。この先も家を持つことはあまり考えていない。まぁ現時点での推察、ということは付け加えておきたい。

・月々支払っている家賃がもったいない
・結局サブスクのように払い続けるだけで手に入るものがない
・老後は貸してもらえるか分からない

などなどの賃貸のデメリットは一応承知しているつもり。コロナ禍をキッカケに在宅ワークが増えたことでおうち時間の充実、などもわからなくもない。

身近なモデル

祖父母は一軒家に住んでいたが老齢になると共に売却し、賃貸に移り住んだ。両親(つまりは実家)はマンションなわけだが、ローンを払い切った今父などは地元の田舎に家を建てたいと考えている。(母がそれに賛同しているかどうかは定かではない)

自分自身を振り返って

私自身は独身時代の一人暮らしはほとんどを外で過ごしたので家といえばほぼ寝るだけの場所と化していた。平日は家に帰るのが遅く、また朝は出るのが早かった。休日は起きて支度をしたら外に遊びに出ていた。俗に言う社畜だったかもしれない、でもそんな生活をそれなりに楽しんでいた。

現在は専業主婦として家事を担いながら多くの時間を子どもと家で過ごしている。面白いもので、家で過ごす時間が長くなったことで家の中のありとあらゆることに関心が湧く様になった。物が多く、ミニマリストとは程遠い我が家でも少しでも快適だと思える空間にしたいという欲が家の中で過ごす時間が増えたことにより、ふつふつと湧いて出てきたのだ。

そこでここ数年、タンクレストイレや本棚を段ボールなどでDIYしてみたり、もともと持っていた家具を息子の成長と共にあれこれと移動させ、定期的に家の中の雰囲気を変えている。ありがたいことに今はとても便利でおしゃれなものが比較的安価で手に入るので工夫次第でどうにでもなる気すらしている。余談だが、モデルルームの様な家は私にとっては素敵ではあるがあまり現実味がなく、参考にはなるが憧れとまではいかない。(ホテルのような一日おきに勝手に清掃され必要なものが補充される空間は喉から手が出るほどウェルカムでしかないことは言うまでもないが。)

そうして断捨離していると、少し前までずっと手元に置いていたものへの執着心が時間と共に少しずつ薄れ、手放せるようになってきた。想い出を胸にしまい、忘却してゆくことを許せる様になったことの表れかもしれない。私にとってかつての『自分だけの思い出』から『家族の思い出』へとシフトしていく段階ということなのだろう。

年齢を重ねたこの先の人生という観点

すると今そうして手元に残った物達も時と共にシフトし、手を離れていく時が来るのかもしれない。70、80、90…(と自分が何歳まで生きるかわからないが)その頃に今執着するものを同じように執着しているとは考えにくく、きっともっと初歩的な「生活をする(つまりは多分、生きる)」ということのみに重点が置かれ、与えることにより喜びを感じるようになっていると思われる。(というかそうでありたい。)

要するに、私にとっては持ち物は小物から大物まで年齢と共に収縮していく想定である、ということがいえるだろう。祖父母の様な選択を採るかもしれないということだ。ならば最初から賃貸でもいいのでは、というところがいまのところの考えである。

結論

将来に全くの不安がない人などいないだろうし、どんな選択をしても多少なりともデメリットに付属する不安は残る。ならば今、自身が大切にしていること、この先も大切にしていきたいことを優先的に選択していけば、おのずと自分に合ったライフスタイルになるのではないかと思う。住居はその一端を担うものであり、それが全てではない。大きな買い物は一時の感情に任せず、よく考察してから臨みたいものである。


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